漁師に戻ったムハンマド。昨年、35年間漁師として働いてきた父親を亡くした(ガザ地区ビーチ難民キャンプ・2019年撮影:古居みずえ)

海に出ることは危険が伴う。沈没などの事故だけでなく、イスラエル警備艇から毎日のようにパレスチナの漁船を攻撃するからだ。禁止領域でない6マイル以内でも銃で撃たれたり、逮捕されたりするケースがあとを絶たないという。

最近では強力な放水で漁船がひっくり返されたりするのだという。昨年の春、ガザ地区を訪ねた時、イスラエルの制限があまりにも厳しく生活苦のため、エジプトに近い海に漁に行き、エジプト軍に殺された漁師もいた。

ムハンマドはこれまで禁止領域に出たことは一度もないという。しかし、1週間前、目の前で起きたことを語った。

「漁業可能領域にいたにもかかわらず、イスラエル兵たちは、15人の乗組員が乗った俺たちの船を放水し、転覆させようとした。船を脱出するとき、一緒にいた14歳の少年がおぼれ、助けに泳いだ。すると、警備艇は俺たちに向かって銃で撃ってきた。助かったのは奇跡としかいえない。怖かった」

モハンマドは続ける
「以前は最低でも1週間で2000NIS(約6万円)稼いでいた。今は俺と息子二人で1週間かけて稼いでも10NIS(約300円)だ。許可されている領域には魚はいない。魚がいるのは禁止領域とされている6マイル以上のところだが、そこで漁をするのは危険すぎる。俺たちは一体どうすれば生きられるんだ。」

こう話すムハンマドの表情に、いつもの笑顔はない。ガザに生きる男たちの厳しい現実があった。

<パレスチナ>ガザ写真報告(1)>>>

【ガザ地区】
ガザ地区は種子島ほどの大きさで、地中海に面し360平方キロメートルの土地におよそ200万人のパレスチナ人が住む。
1993年のパレスチナ解放機構)(PLO)とイスラエルの「オスロ合意」にもとづいて、1994年、ガザ地区はヨルダン川西岸とともにパレスチナ自治区となったが、イスラエルによる占領は今も続いている。
2005年にイスラエル軍は撤退したが、2008~09年、2012年、2014年に3度にわたるイスラエルによる大規模侵攻があった。
2006年よりガザ地区はイスラム組織ハマースが政権を握り、それに対してイスラエルはガザ地区を封鎖し、人の出入りや燃料など流通の制限をしている。海、陸、空を支配するイスラエルはパレスチナ人たちの漁業可能領域も制限し、封鎖後は6マイル(11キロ)としている。状況が緊迫しているときには3マイルになることもある。

【第二次インティファーダ】
2000年9月、当時のリクード党首、シャロン元国防相がエルサレムのイスラム教徒の聖地、「神殿の丘」を強行訪問したことを契機に民衆蜂起が発生した。第一次インティファーダと違い、パレスチナ人の一部は武力闘争や自爆攻撃をはじめ、イスラエルはパレスチナ自治区に戦車や戦闘機を投入し、武力攻撃で多数の市民の犠牲を出した。