89歳で亡くなったマクプレ・アティラ(ダエ)さん。(2003年・玉本撮影)

◆我闘う、ゆえに我あり

2020年1月、あるクルド女性が89歳でこの世を去った。私がトルコ・イスタンブールで、マクプレ・アティラさんと知り合ったのは25年前。取材でお世話になった通訳のジャマルさん(52)の母親だった。ときに家に泊めてもらい、料理や洗濯をともにしたこともあった。(玉本英子

トルコ南東部のちいさな村の出身で、息子がいるイスタンブールで暮らしていた。(2001年・玉本英子撮影)

 

私は彼女のことを「ダエ」と呼んだ。クルド語でお母さんという意味だ。毛糸のベストを着こみ、頭にまいたスカーフの下には三つ編みの白髪がのぞく。性格は決して温厚とはいえず、周りにいつもけんか口調だった。

一緒に青空市場へ行ったときのこと。私が野菜を買おうとすると、ダエは大声で店主をののしり始めた。店主が外国人の女の私を見て値段をごまかそうとし、それを見逃さなかったのだ。学校へ行けなかったため読み書きはできなかったが、鋭い観察力を持っていた。

6年前、故郷ムシュのヴァルト村に一時里帰り。かつて夫は若いとき、農作業中に事故死。その後、ダエはヒツジの放牧と干し草売りで6人の子どもを育て上げた。(ジャマルさん提供)

 

トルコ東部ムシュ県ヴァルトのアレヴィー教徒の村の出身のダエ。クルド人で、そのなかでも少数派のザザ方言を話した。14歳で結婚、夫との間に子ども10人を授かるも、4人は幼くして亡くなった。

【動画】アレヴィー文化を守る人びと(8分30秒)

のちに夫は農作業中に事故死。彼女はヒツジの放牧と干し草売りをして、子どもたちを養った。商売相手は、周辺の村のトルコ人やクルド人の男たち。保守的な村落部では、女ゆえに見下されるので、ダエは商売でも物おじする姿を見せなかった。

「口答えなんかするんじゃない」。四男ルザさんにスプーンで殴りつけるダエ。息子たちと母はいつもこんな調子だが、親子愛で結ばれていた。(2001年イスタンブール・玉本英子撮影)

 

トルコはかつて国内のクルド人の存在を認めず、クルド民族運動に関わる者を厳しく弾圧した。多感な青年期を迎えた息子たちは、それぞれクルド組織の政治運動に加わった。

次男は14歳のときにトルコ国旗を燃やした罪で逮捕され、1年半刑務所に。釈放後、別の容疑で6年間服役、三男も別組織の地下活動で7年間投獄された。ダエは、「国と戦うなんて無理」と息子たちを諭しながらも、陰で支え続けた。
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