マオイストの通り道ガルティガウン村に入る
ガイリガウン村ティラの小さな集落には、朝から小雨が降っていた。これから登ることになっている、背後にそびえる山の頂も、白い霧に覆われて見えない。ウダヤと私は雨があがるのを待ち、食事をティラでとってから出発することにした。

午前10時すぎ、雨が止んだのを機に、私たちはティラを出た。出発間際に、マオイストの“パダム”に「ガルティガウン村に着いたら、“イーグル”という党名をもつマオイストと接触するよう」言われた。(写真右:ガルティガウン村の集落。東側に面した斜面に集落があり、ネパールの山岳地帯ではどこでも見られる段々畑が広がる。)

集落を出るとすぐに登りが始まった。霧に包まれて周囲がまったく見通せない。しばらくは途中ですれ違う人もなく、見通しが悪いために正しい道を行っているのか否か不安になるが、涼しくて上りを歩くにはちょうどいい。

1時間あまり、急な傾斜を一気に登ると標高約2200メートルの頂に出た。さらに1時間ほど山を下ると、ようやく村落が見えてきた。そこはもうガルティガウン村だったが、宿のあるバザールまでには、山腹の道をさらに2時間歩かねばならなかった。

 どの村でも、到着したときにまずすることは、茶店に入ることである。甘い紅茶を飲みながら身体を休息させるとともに、そこにいる人たちと話しをするうちに、村に関する情報を得ることができる。

ガルティガウン村のバザールに到着した私たちは、一番手前のはずれにある茶店に入った。50代と思われるマガル族の主人が作る紅茶と、こんな村にはめずらしい、ゼリーというインドの甘いお菓子を食べながら、茶店の主人と話をしていると、彼が同行している日刊紙記者ウダヤの親戚筋にあたることがわかった。

ウダヤの苗字も「ガルティ・マガル」だが、「ガルティガウン(ガルティ村)」というこの村の名前は「ガルティ」という苗字をもつマガル族が大勢住むことに由来する。(写真右:トウモロコシの茎をかじるガルティガウン村のマガル族の子供たち。)

しばらくすると、茶店の前を若い男が通りかかった。店の主人が、この男を呼び入れて私たちに紹介してくれた。偶然にも、この男がティラで“パダム”に「接触しろ」と言われた“イーグル”だった。32歳になる“イーグル”も、「ガルティ」を苗字にもつマガル族である。

話をするうちに、彼が私のよく知る人物の弟であることがわかった。私の知り合いは、現在の与党を率いるネパール会議派(デモクラート)の活動家で、ロルパの郡庁所在地リバンに住む。

彼らの父親は“知事”にあたる郡開発委員会委員長を務めたことのある政治家で、祖父の代まではガルティガウン周辺の村々を支配する“ムキヤ”を代々務めていた。ロルパでは知らない人のいない著名な一族の息子がマオイストになっているとは、私は少々驚きを隠せなかった。この村に滞在するうちに、村人から彼がマオイストになった経緯を聞いて、私はさらに驚くことになる。
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