現在イラク北部とクルド自治区を取材中の玉本が、イラク国内の日常の息吹を日誌と写真で伝える集中連載

今回イラクに来てから、90日目を迎える。これまで何度かイラクに来たなかで、継続した滞在としては最長となった。そしてこれまでにない警護態勢をとった。1年前なら、防弾チョッキなんて重すぎるし、威圧感を与える、と思っていたかもしれない。しかし、いまはそんな状況ではない。
私はこれまで、いくつかの紛争地で取材をしてきた。しかし、現在のイラクの状態は、取材者にとっては異常すぎる。

「現場に迫りたい」という思いだけでは、取材はできない。自分が戦闘に巻き込まれるだけではない。スタッフや運転手、その家族まで巻き込んだらどうするのか。
「家に外国人を招いた」と取材相手が脅迫される可能性もある。もし、自分が人質になったら、家族は記者会見に引っ張り出されるだろうし、世間の批判さえ浴びるかもしれない。そんなことすべてを想定して、取材するのは相当の覚悟がいるものだ。

キルクークでは7人の警護をつけた。これまで私がつけた警護の数では最高記録だ。警護つきの取材は、あまりに制約が多い。路地で写真一枚撮るだけなのに、カラシニコフ銃をもった警護が自分の周りを囲む。そんななかでまともな写真を撮るのは難しい。記者が武装した人間をつけることへの倫理的葛藤もある。

今回、モスル取材には、イラク軍部隊に従軍する形で現地入りした。モスルでは、毎日、自爆攻撃や米軍襲撃が繰り返されている。イラク軍車両で、武装勢力の待ち伏せエリアに入ったときは、窓から自動小銃を突き出し、引き金に指をかけて反撃体勢をとる兵士の横で、ビクビクしっぱなしだった。自分で望んだことなのに、「なんでこんなところに来たんだろう」と、とにかく時間が過ぎることばかり考えていた。

それでも、あえて「現場で取材すること」の意味はあると思う。実際に現場に来ることで、見えてきたことは計り知れないほど多い。そして伝えられていない声が、まだまだいくつもあることを知った。
現在、イラク取材をしている数少ない日本人記者ということで、この間、日本の新聞社からいくつか取材をうけた。必ず出た話が「自己責任論について」だった。そのたびに心苦しくなった。

私は当初から、自己責任論を展開する一部の人たちと、人質となった5人を称賛する意見のいずれとも距離をおいていた。昨年の人質事件当時、バグダッドにいた私は、日本でふたつの意見の二者択一化が先鋭化するほど、やるせなくなった。
もちろん紛争地経験があるからといって危険を回避できるわけではない。しかし、イラクが「戦場」であるという認識を持たず、「自分の目で現状を見たい」という「思い」だけで、何人もの日本人がイラク入りしていた状況を、私は複雑な思いで見ていた。

一方で、人質バッシングをする日本社会の現実も知った。自己責任論を通じて、いちばん残念だったのは、大騒ぎの結果、反省すべき点はどこで、その教訓からなにを得るべきか、そうした議論の回路すら閉ざされたことだ。
先日、BBCで働くイラク人カメラマンと、昨年の日本人人質事件について話をした。「君は無茶はするなよ。人質になってしまったら、取材する側から、取材される側になるから」冗談まじりに言った彼の言葉が、いまも心に残っている。
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イラク軍に同行してモスルへ向かう筆者。今回の取
材でいちばん綿密に計画した。