ケ:もちろんだ。だから皆考えている。中国や韓国との経済交流において、さまざまな制度上の障害を、我々の方からとり除くことが重要だ。
その中でもまず「労働の自由」の環境を提供しなければならない。そうするためには、朝鮮でそれに見合った経済改革をするしかない、こんな意見が大勢だ。

事実、金正日将軍の中国南部地方訪問を契機に、経済部門の官僚たちの間から改革開放に対する期待が大いに高まった。
各企業所の経済幹部たちは、担当の副総理に申し出て、中国へ行って関連企業所の技術設備見学だけでもしたいと、承認を求めようとてんやわんやになった。中国の発展に習いたいという朝鮮の経済専門家たちの渇望がよく現れている。

ところがその後どうなったか? 先にも話したが、降りてきた公開指示というのは、一言でいえば「もっと強力に引き締めろ」だった。幹部たちの失望と怒りは相当のものだったんだ。
「今だに、上からやれという通りにやればよい。下の者はただ黙っていればよい、そういうことか?」
「そのやり方で、どれだけの人が飢え死にしたり、家を失ったりしたと思っているのか」。

企業所の幹部たちは怒りを抑えられなくなって、口々にこんな(激しい)言葉も発していた。
今や、幹部も人民も、無責任な指導部の言葉を信じようとはしない。ジャンマダンは、人々に必要な基礎的な経済原理とは何かを十分に教えてくれた。
そこに金正日将軍の中国訪問の話が出たので、経済部門の幹部たちは「開放だ、乗り遅れるな」と神経を集中させたのだ。

このような期待を持っている幹部たちに、わざわざ背信感が募るようなことをなぜするのか?
幹部たちをどんどん遠ざけてしまうようなことをする「先軍政治」がまったく理解ができない。
(つづく)

注1 朝鮮労働党大会は、五年に一度開かれることになっているが、一九八〇年の第六回党大会以来開かれていない。党の最高意思決定機関が開催されないのは、経済と政治の混乱のためである。
注2 「行くぞ部隊 1」の注を参照のこと。
注3 趙明禄(チョウ・ミョンロク) 軍の長老で一九二八年生まれ説。人民武力部総政治局長、兼国防委員会第一副委員長。
注4 開城工業団地 非武装地帯まで一〇㎞ほどの古都・開城に、南側が資本と技術を、北側が土地と労働力を提供して工業団地を作ることで、北政府と現代グループが二〇〇〇年に合意。
二〇〇七年末現在、韓国企業四〇数社が進出し、約二万人の北朝鮮労働者が働き、道路・鉄道が通されるなど、金大中―盧武鉉政権の南北協力のシンボルだったが、進出企業のほとんどは赤字に悩んでいる。

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