何とか逃げ出して、ルートを変えて裏道を走った。ラティーフさんは「あの糞野郎ども、ただカシミール人が気に入らないだけなんだ」と打たれた腕と尻の痛みを気にしながらつぶやく。
裏道に入っても、チェックは続いた。そのたびにラティーフさんが暴力的な視線を浴び、責められる。

許可証を持っている、と主張しても「それがどうしたんだ!」という声が飛んでくる。我慢できなくて「私は旅行者で、日本人で、宿に行くだけなんだ」と言うと「お前の出る幕じゃないんだ!」と兵士に怒鳴り返された。

宿に着くと、主人は旧交を温めるもなく「お前は色んなチャンスを逃したな。ここら辺は緑の旗(パキスタンやイスラームを象徴する)と黒い旗(一連の抵抗で死んだ使者に弔意を表す)で埋め尽くされていたんだぞ。先週の月曜には道には集会に参加しようと方々から来るバスや人びとでいっぱいだった。

こんなことは90年代の武装闘争が盛んだった頃でもありえなかった」と私を責める。それに驚いたのは、「独立運動なんて、俺たちの商売を邪魔しているだけだ」と言ってやまなかった彼が、いまでは「独立だ!」と言い出しているのだ。そんな彼を変えてしまった今回の騒動はなぜ起きたのだろうか?この問題の背景はとても複雑だ。

事の発端は、カシミールにあるヒンドゥー教徒の聖地「アマルナート洞窟」の土地の譲渡問題だった。
このアマルナート洞窟寺院はカシミールの夏の州都スリナガルから140km、標高3888mの山岳地帯の奥深くに位置し、洞窟のなかにあるシヴァリンガに見立てられ氷で自然形成された氷柱を見に、毎年7月~8月の巡礼期間に40万人のヒンドゥー教徒が訪れる。この地を訪れるには、谷沿いの登山道を4日ほどかけて、徒歩で登らなければならない。

08年5月、シンハ州知事(彼は元陸軍中将でカシミール人ではない。また、通常、行政の実権は州首相が担い、知事は儀典の出席や公的機関の名誉的な長を務めるのみである)指導の下、100エーカーの寺院周辺の森林の土地を南部の州外の人々で構成される寺院管理委員会(通称SASB。委員長はシンハ氏)に譲渡する決定がなされたのである。
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