と同時に、人と争うことや醜い行いが、いつにも増して戒められる。断食によって空腹を耐え忍ぶだけでなく、この月は「欲」と名のつく本能すべてを自制しなくてはならない。自制心と忍耐を養い、魂を浄化させるのがラマザーン月なのだ。

確かに、ラマザーン月に入ってから、町では争いごとを目にしない。ケンカの耐えない階下の夫婦も、この1、2週間は静かにしており、奥さんの悲鳴も聞こえてこない。
ラマザーン月に公衆の面前で言い争っている人がいたら、それは非常に醜く、不信心な行いとして白い目で見られるだろう。恐らくラマザーン月は、犯罪発生件数が年間で最も低いのではなかろうか。

平和なラマザーン月を送るイランは、アフガニスタンでのタリバンの活動を、テロ行為で、イスラムの聖戦とは相容れないものであり、イスラム教にとって損失以外の何ものでもないと非難している。
しかし、イランとて、宗教と愛国心の名の下に多くの少年兵を死地に追いやった歴史から、まだ20年ほどしか経っていない。そして今も、「神は偉大なり」と「アメリカに死を」の二つが常に同時に叫ばれるお国柄である。

ひとたび有事となれば、この国のラマザーン月も、聖戦こそが最大の善行、殉教こそが最も神を喜ばす行為と、もてはやされることになりはしないのか。
先人が考え出した美しい理想を都合よく利用するのは、宗教に限ったことではない。
私はただ、多くのイスラム諸国がラマザーン月というおめでたいお祭りを楽しみ、人々が心豊かに過ごしている今、同じ時間を同じイスラム教徒が、誰かを殺すことに心血を注いでいることが、残念でならないだけである。