アラブ人、クルド人、トルコマンの児童が通うキルクークのシラン小学校。子どもたちが指さすのは、キルクーク。「この町で生まれ育った私たちに民族を隔てる壁はない、と子どもたちに教えている」と校長は話した。(3月28日・撮影:玉本英子)

 

玉本英子 現場日誌
イラク北部キルクークはクルド人、アラブ人、トルコ系トルコマンなどさまざまな民族が暮らしてきた。
旧フセイン政権時代、学校教育はアラビア語によるものだけだったが、イラク戦争後、状況は大きく変わった。
自分たちのが受け継いできた言葉で子どもを育てたいという思いから、クルド語やトルコ語をとり入れる学校が急速に増えた。
学校ごとで教える言語が異なるため、どの学校に子どもを入れるか基本的に親が決めることになる。
市内中心部のシラン小学校(共学、児童数310人)ではアラビア語で教えている。だがここにはアラブ人、クルド人、トルコマン人の児童が通う。
児童の民族構成について先生たちに尋ねると、「歴史的に民族が混住してきたキルクークでは、父親がアラブ人、母親がクルド人などという児童も多く、民族や言語で線引きするようなことはできない」と話した。

「私たちはきょうだい」とそれぞれの言語で書かれた横断幕を手にしたトルコマン、クルド、アラブ、アッシリア人(キリスト教徒)の写真看板が市内の中心部に設置されていた。(3月28日・撮影:玉本英子)

 

6年C組では21人の児童たちが、地理の授業に熱心に耳を傾けていた。
一番前の席で熱心にノートをとっていたメレック・ムラックちゃん(12)は医師になるのが夢だという。
「私たちはみんなキルクーク生まれ。言葉の違いで喧嘩したことはない」と笑顔を見せる。
マヒダ・ハムザ・アハメット校長は話す。
「かつては人工的に民族比が変えられ、地方への移住を強いられた家族もいる。旧政権崩壊後はアラブ人、クルド人などの間で対立が激しくなった。子どもたちは、毎日仲良く机を並べているというのに」
いまもあいつぐ爆弾事件や民族どうしの対立。
大人たちの争いに、子どもたちも巻き込まれている。
【玉本英子】