【2007年8月の爆弾事件で息子2人を失った女性。死者は375人にのぼり、人口2万5000の小さな町ではどの家族も誰かを失っていた。(ニナワ県ギルオゼール・撮影:玉本英子)】

【2007年8月の爆弾事件で息子2人を失った女性。死者は375人にのぼり、人口2万5000の小さな町ではどの家族も誰かを失っていた。(ニナワ県ギルオゼール・撮影:玉本英子)】

 

◇「邪教」とされイスラム武装勢力が殲滅を宣言
イラク北西部、ヤズディ教徒の町ギルオゼールは、サダム・フセインによって人工的に造られた。
1975年、フセイン政権は北部の山岳地帯や丘陵部に暮らしていたヤズディ教徒を移住させる政策を始めた。140の村は解体され、11の村に強制的に分けられ、土漠地帯に送られた。
「いきなり草木もない土漠に連れて来られ、ここに住めといわれた。村に戻ろうとすれば殺された」
地元文化センターのカロー・ラビィさん(40)は当時を思い起こす。

【武装勢力が使った爆薬の量としては最大ともいわれるほど大きな爆発だった。地区全体を吹き飛ばすほどの威力で、人びとは瓦礫だけでなく地面を掘りおこすなどしてようやく遺体を収容した。現在は平屋の商店が再建され、いまも黒い喪旗が掲げられている。(ニナワ県ギルオゼール・撮影:玉本英子)】

【武装勢力が使った爆薬の量としては最大ともいわれるほど大きな爆発だった。地区全体を吹き飛ばすほどの威力で、人びとは瓦礫だけでなく地面を掘りおこすなどしてようやく遺体を収容した。現在は平屋の商店が再建され、いまも黒い喪旗が掲げられている。(ニナワ県ギルオゼール・撮影:玉本英子)】

 

イラクのヤズディ教徒のほとんどはクルド系住民で、クルド語を話す。民族独立を志向し、反体制意識の強いクルド人をフセイン政権は警戒した。軍を投入して北部のクルド地域の住民を大量虐殺する事件があいついぎ、弾圧はヤズディ教徒にも向けられた。

強制移住でコミュニティを崩壊させ、もとの居住地域にアラブ人を入植させる「アラブ化政策」によって、ヤズディ教は解体の危機に瀕した。イスラム教でもキリスト教でもない信仰そのものを政権は敵視した、と多くのヤズディ教徒は主張する。
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