毎週金曜日にバグダッド市内の広場で政府を批判するデモが行われる「水がない、電気がない、仕事がない」手作りのプラカードを持った男性の姿があった。(撮影 玉本英子)

毎週金曜日にバグダッド市内の広場で政府を批判するデモが行われる「水がない、電気がない、仕事がない」手作りのプラカードを持った男性の姿があった。(撮影 玉本英子)

 

最終回 イラク戦争がもたらしたものは・・・

― 開戦から8年が経ち、イラクを取材してみて、イラク戦争がもたらしたものはなんだと思いましたか? ―
(玉本)
2003年の3月、米英軍がバグダッドを空爆しました。それ以降、イラクを覆うことになった暴力の主な原因はやはり、政治的、社会的展望をまったく持たないでイラクに侵攻した米軍にあると思います。

暴力は憎悪を生み出し、さらなる暴力を作り出しました。この終わりのない悪循環はいまも続いています。武装勢力は聖戦の名の下に外国や義勇兵の支援を受けながら市民をも狙いだしました。

多くのプレーヤーがこのゲームに参加し、結果として残ったものは罪無き市民の犠牲や国や共同体の破壊だけでした。かつては、独裁政権下であっても一定の調和を保ってきたイラク国民は、バラバラになってしまいました。

強大な暴力と報復の応酬のなかで、誰もが自身が属する集団や政党に頼らざるを得なくなってしまいました。
たとえば、「部族」であったり、「シーア派」、「スンニ派」、「クリスチャン」、「クルド民族」などです。それ以外、誰も、自身や家族を助けてくれなかったからなんです。

人びとを暴力から守るためにさらに強力な暴力が熱望される結果となってしまいました。誰もがおかしいとわかっているのに、誰もその解決方法を見出せなくなったわけです。

ジャーナリスト・玉本英子(アジアプレス 大阪事務所にて)

ジャーナリスト・玉本英子(アジアプレス 大阪事務所にて)

この暴力の責任は誰にあるのでしょうか。
この私の問いにバグダッドのある女子大生が答えてくれたことがありました。

彼女は、「アメリカが悪い。外国も悪い。隣国も悪い。政治家も悪い。そして我々イラク人もすべてが悪いんです」と話してくれました。
私たち日本人もこの2003年の米英軍の空爆を支持しました。

それから8年が経ちましたが、日本国民の関心も薄れ、メディアも現場を訪れなくなりました。今回、私が取材をしていても外国人記者の姿を見ることはほとんどありませんでした。

かつては外国人記者で賑わったホテルでも、記者の姿を見ることはありませんでした。日本人の記者も、今回見ることはありませんでした。
この戦争以後、およそ10万人のイラク人が亡くなりました。

その現実を考えたときに、これでいいのか、あのときに戦争を止めることはできなかった私たちに責任はないのか、そのことを私たちはもう一度考える必要があるのではないか、そのように私は思っています。
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