虐殺を目撃した譜久山さん

第32軍は米軍上陸から2カ月後、首里城の司令部壕を放棄、南部に撤退を開始する。時間稼ぎの「捨て石」作戦だ。譜久山さんの病院も解散、青酸カリによる重症患者の「処置」命令が下された。譜久山さんが重い事実を語れるようになったのはまだ10年前。「なんで県は、あったことをないことにするのか」と憤る。

◆殺害された校長
沖縄本島に上陸した米軍は南北を分断するかたちで進軍した。北部方面の守備にあたったのが独立混成第44旅団第2歩兵隊=国頭支隊だった。トップ宇土武彦大佐の名から通称・宇土部隊。県立三中生で鉄血勤皇隊員だった大城晃さん(83)=西原町=は通信隊に所属した。「隊長自身が遊郭の女性を連れていたそうです。北部にも慰安所ができましたし、住民だってみんな知っていること。それをひっくり返そうだなんて話になりません」

体験を語る大城さん

北部には避難民が疎開、軍民が雑居していた。国頭支隊の方針は秘密戦であり、「防諜」を徹底した。大城さんの同級生は国民学校校長がスパイの嫌疑をかけられ連行される場面に遭遇、後に瀕死の姿を見た。大城さん自身、殺害された避難民2人の遺体を目撃している。「親子だったと聞きました。本当にかわいそうでならない」

北部では組織的な戦闘が終わった6月23日以降もゲリラ戦が続いた。その中で、敗残兵による住民虐殺も続出。大宜味村渡野喜屋で日本兵が民間人を襲った「渡野喜屋事件」では35人が殺され、15人が重軽傷を負っている。

◆過去にも改ざん例
沖縄戦をめぐっては、史実を改ざんする動きが繰り返されてきた。2007年の「集団自決」をめぐる教科書検定問題、昨年来の八重山教科書問題。1999年には保守県政の稲嶺知事時代、新平和祈念資料館の展示改ざん問題が起きている。このときも展示担当の監修委員は寝耳に水。指示したのは稲嶺知事で、当時、「国のやったこと、国策を批判するようなことはいかがなものか」と語ったという。

今回の説明板の削除を最終決断したのは仲井真知事。会見では「相反するいろんな意見があり、確認されていない」と理由を説明している。脅迫も交えて沖縄戦を美化しようとする輩は卑劣極まりない。しかし、なぜこうもあっさり屈してしまうのか。その経緯は未だ明らかにされていない。検討委員会の再三の抗議と「文言復活」要求を、県はいまも拒否している。
(栗原佳子/新聞うずみ火)

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