シリア北部アレッポ県に位置するコバニ。アラビア語名のアイン・アル・アラブは「アラブの泉」を意味する。ユーフラテス川に近く、かつてはアッシリア帝国の勢力圏にあった地域。住民のほとんどはクルド人で、地元民はこの町をコバニと呼んできた。町はイスラム国の攻勢にさらされ、3方向を包囲される状況となっている。

シリア北部アレッポ県に位置するコバニ。アラビア語名のアイン・アル・アラブは「アラブの泉」を意味する。ユーフラテス川に近く、かつてはアッシリア帝国の勢力圏にあった地域。住民のほとんどはクルド人で、地元民はこの町をコバニと呼んできた。町はイスラム国の攻勢にさらされ、3方向を包囲される状況となっている。

 

◆コバニと呼ばれるクルドの町
アイン・アル・アラブは周辺地域を含めても人口7~8万ほどの小さな町だ。住民のほとんどはクルド人で、他にアラブ人、トルコ系住民、アルメニア人などが 暮らしてきた。当初は、内戦の影響が他の町より深刻でなかったため地方から避難民が流入し一時、人口は倍近くに増加した。ユーフラテス川が流れるこの一帯 はかつてアッシリア帝国が勢力圏を広げた地域でもある。地元民は、ここをコバニと呼ぶ。オスマン帝国時代に、ドイツの鉄道会社がベルリンとバグダッドを結 ぶ鉄路を敷設に来たことから、「カンパニー」の町と呼ばれ、以降、それがなまってコバニとなったとされる。

内戦前から、若者たちの中にはPKKのゲリラに参加する者があとを絶たず、トルコ軍との戦闘などで相当数の戦死者を出す町でもあった。ゲリラ戦闘員には組織名がつけられるが、出身地をつける場合が多い。アハマド・コバニやシルワン・コバニなど「コバニ」を冠した名前がたくさんあるのはこの町から多くの若者がゲリラとなったことを意味する。シリアが内戦に陥ると、彼らが地元青年を訓練し、人民防衛隊(YPG)を編成した。写真は町の守りを固めるYPG戦闘員。イスラム勢力との対決を女性解放闘争とも位置づけており、共産主義的影響も垣間見える。(2014年1月撮影)

内戦前から、若者たちの中にはPKKのゲリラに参加する者があとを絶たず、トルコ軍との戦闘などで相当数の戦死者を出す町でもあった。ゲリラ戦闘員には組織名がつけられるが、出身地をつける場合が多い。アハマド・コバニやシルワン・コバニなど「コバニ」を冠した名前がたくさんあるのはこの町から多くの若者がゲリラとなったことを意味する。シリアが内戦に陥ると、彼らが地元青年を訓練し、人民防衛隊(YPG)を編成した。写真は町の守りを固めるYPG戦闘員。イスラム勢力との対決を女性解放闘争とも位置づけており、共産主義的影響も垣間見える。(2014年1月撮影)

アメリカやEU諸国はYPGの母体組織であるクルディスタン労働者党(PKK)を長年、テロ組織としてきたが、イスラム国の包囲のために一部で連携する動きも見せており、中東の政治情勢が大きく変わることも予想される。写真はRPGロケット砲を手にするYPG戦闘員。(2014年1月撮影)

アメリカやEU諸国はYPGの母体組織であるクルディスタン労働者党(PKK)を長年、テロ組織としてきたが、イスラム国の包囲のために一部で連携する動きも見せており、中東の政治情勢が大きく変わることも予想される。写真はRPGロケット砲を手にするYPG戦闘員。(2014年1月撮影)

 

内戦でシリアが混乱に陥ると、国外脱出などで人口は大きく減少した。YPGが防衛隊を組織し、守りを固めてきたものの、周囲は昨年からイスラム国によって包囲され、住民はどこへも逃げられない状況が続いていた。

すぐ北に伸びるトルコとの国境線は、トルコ側の鉄条網が張り巡らされていて、容易に国境を越えることは出来ない。包囲下に置かれた町には、生活物資や医薬品などがほとんど届かず、退路を断たれたなかで孤立する状態だった。(つづく)

【解説】イスラム国に包囲されるシリアのクルド人(2) につづく>>>

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