昨年8月3日、イラク北部シンジャルでイスラム国によって町を制圧され、山に追い込まれたヤズディ教徒(ヤジディ教徒)住民。山にわずかに生えている木を集めてきて、窯に火を入れる。(昨年9月、イラク・ニナワ県シンジャル山・玉本英子撮影)

昨年8月3日、イラク北部シンジャルでイスラム国によって町を制圧され、山に追い込まれたヤズディ教徒(ヤジディ教徒)住民。山にわずかに生えている木を集めてきて、窯に火を入れる。(昨年9月、イラク・ニナワ県シンジャル山・玉本英子撮影)

 

アジア太平洋戦争後、戦争取材による日本のジャーナリストの犠牲者がいちばん多かったのは、60年代半ばから始まったベトナム戦争である。ベトナム、カン ボジアなどで10数名の日本人ジャーナリストが命を落としている。ベトナム戦争では、米軍は前線での記者たちの取材を認めたため、誰もがよりインパクトの 強い写真、映像を求めて戦闘の最前線へと踏み込んでいった。ジャーナリストの犠牲者が多く出る一方、死体など戦場の酷い光景が全世界に流れることで、ベト ナム反戦運動が急激に高まり、米軍はベトナムからの撤退を余儀なくされていった。このときの経験から、米国は湾岸戦争、イラク戦争などでは、ジャーナリス トたちの自由な取材を制限して、より巧妙な情報操作を行うことになる。

このような国家による情報コントロールを打ち破るためには、ジャーナリストたち自ら戦場に足を踏み入れ、自分の目撃した戦争の実相を伝える必要があ る。日本の中でも、もっとも戦争取材経験の豊富なジャーナリストのひとりである佐藤和孝さんは、2007年にミャンマー(ビルマ)で民主化デモを取材中に 政府軍兵士に射殺された長井健司さんの死についてこう語っている。

「リスクを冒さない限り、何が起きているかを記録することはできない。長井さんの事件ではビルマ軍に大変な怒りを覚えるが、彼の死で私たちの取材のやり方が変わるということはない」

このような決意は今回の「イスラム国」人質殺害事件の後でも、戦争取材を行うフリーランスの共通の思いであろう。
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野中章弘(のなか・あきひろ)
1953年兵庫県生まれ。ジャーナリスト、プロデューサー。早稲田大学ジャーナリズム大学院教授。アジアプレス・インターナショナル代表。80年代より、アジアの戦争、紛争地などを取材。編著書に『ジャーナリストの条件4~ジャーナリズムの可能性』(岩波書店)、『現代ジャーナリズム』(早稲田大学出版会)など。


 

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