「家族の家」の子どもたちと園長。(2021年4月、イドリブ:アスマール撮影)

◆内戦10年が生んだ戦災孤児

10年にわたるシリア内戦は、子どもたちにも、たくさんの悲しみをもたらした。北西部イドリブ市内にある孤児保護施設「家族の家」には、戦争で家族を亡くした子どもたち14人が暮らす。私は地元シリア人記者の協力のもと、ネット回線を通じて施設を取材した。(取材・構成:玉本英子/アジアプレス、協力:ムハンマド・アル・アスマール

 

小学5年のザハラさんは爆撃で父を亡くし、母と妹とともに「家族の家」に身を寄せた。今も飛行機の音に脅えるという。(2021年4月、イドリブ:ムハンマド・アル・アスマール撮影)

小学5年生の女児ザハラさん(11)は、アサド政権の戦闘機の爆撃で父親を失った。「お父さんの身体は飛び散ってバラバラになった。いまでも飛行機の音が聞こえると、体が震え、物陰に隠れて神様に祈る」。親戚の家を転々とした後、ザハラさんは母と妹とともに「家族の家」に身を寄せることになった。

孤児保護施設「家族の家」の子どもたち。当初は孤児だけの施設だったが、のちに身寄りのない母も受け入れるようになった。(2021年4月、イドリブ:ムハンマド・アル・アスマール撮影)

 

ハスナ・ダハヌン園長(48)は、国内外の民間人からの支援を受けながら、職員たちと施設を運営する。アレッポの自宅が壊滅し、避難したイドリブで戦争孤児の増加を知った。寄付を集めて住宅地の一軒家を改修し、2年前に「家族の家」を設立した。「どの子も心に深い傷を抱え、親がいないため愛情に飢えている」と話す。こうした施設はイドリブだけでも10カ所以上ある。

「家族の家」のダハヌン園長。内戦前はアレッポで幼稚園の先生だった。爆撃で自宅と幼稚園が破壊され、避難したイドリブで孤児の増加を知り、保護施設を開設。(2021年4月、イドリブ:ムハンマド・アル・アスマール撮影)

 

◆戦死した外国人戦闘員の子ども

ここには外国人戦闘員だった親を亡くした子どももいる。灰青色の瞳が愛らしい男児、ビラールくん(5)。父親の出身国は分からない。義勇兵として戦死すると、シリア人の母親は息子を置いてトルコに渡り、別の男性と再婚。祖母のもとに残されたビラールくんは、この施設に連れてこられた。

外国人戦闘員の子供として生まれたビラールくん(5歳)。母親はシリア人で息子を置いてトルコに渡り、別の男性と再婚。彼は祖母のもとに残されたが、生活苦から「家族の家」へ。(2021年4月、イドリブ:ムハンマド・アル・アスマール撮影)

 

イドリブ一帯では、チュニジアやエジプトなど各国からシリア入りしたイスラム武装勢力の戦闘員がいまも活動する。地元シリアの女性が、外国人戦闘員の妻になるよう強いられる例もある。女性側の親族は過激な思考の外国人との結婚に反対しても、武装組織の圧力を断れず、また生活苦から結婚を選択することもあるという。

シリア内戦には各国から外国人戦闘員が加わった。過激派組織「イスラム国」(IS)のほか、ヌスラ戦線などの武装組織にも参加。義勇兵だけでなく、集団でシリア入りした母子もいる。拘束された外国人戦闘員とその家族の出身国への帰還が問題となっている。(2014年・ヌスラ映像)

 

「家族の家」は当初、子どもだけの施設だったが、身寄りをなくし、経済的に困窮した女性が増加したため、母子ともに受け入れるようになった。イドリブとその周辺地域では夫を失い、生活が立ち行かなくなった女性は4万6000人を超える(地元団体SRC調べ)。
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