イラク北西部の村で武装組織「イスラム国」(IS)に拉致され、少年軍事訓練所に入れられたヤズディ少年ダハム君(仮名14)は、母と弟とともに命がけで国境を超え、トルコへ脱出した。だが、今も多くのヤズディの少年たちが、シリア・ラッカの訓練所にいる。少年と母親が無事に脱出できたのはまれなケースだ。絶望して自殺したり、逃げようとして捕まったヤズディ女性も少なくない。
米軍など有志連合はIS支配地域に空爆を続けているが、その標的になっているのは戦闘員だけではなく、こうした拉致された子どもたちもいる。さらにISは子どもを「人間の盾」に利用しようとしている。ヤズディ教徒の集団殺戮と拉致からまもなく1年。今も多くの人びとが苦しみに直面している。【玉本英子】(全3回)

シリア・ラッカの少年軍事訓練所から脱出してきたばかりのヤズディ少年ダハム君(14)。ISが2月に公開した映像の訓練所に彼と弟が収容されていた。兄弟は脱出できたが、映像に映る友人たちは今も訓練所にいると思われる。(イラク北部・4月末撮影:玉本英子)

シリア・ラッカの少年軍事訓練所から脱出してきたばかりのヤズディ少年ダハム君(14)。ISが2月に公開した映像の訓練所に彼と弟が収容されていた。兄弟は脱出できたが、映像に映る友人たちは今も訓練所にいると思われる。(イラク北部・4月末撮影:玉本英子)

◆どうやって逃げたのか?
ダハム:
お母さんは戦闘員の男の家で働かされていた。4か月が過ぎて僕たちを信用したのか、訓練所の近くにあったお母さんが住まわされた男の家に行って、お母さんと会うことが許されるようになった。その時は教官に許可を出してもらった。弟がお母さんに会いに行ったとき、僕は脱出を決意した。

夜中、僕は訓練所を抜け出した。そして母さんと弟のいる家に向かった。男は不在で家に鍵がかけられていたので、鍵を壊して2人を連れ出した。家にあった男のお金を持ち出して、タクシーに乗った。もうダメかもしれないと何度も思った。検問はあったけど、黒いベール姿のお母さんと子ども2人の姿はそれほど怪しまれなかったのかもしれない。

なんとかトルコ国境近くの村にたどりつき、僕は知らない民家に逃げ込んで助けを求めた。その家のアラブ人の女性はとてもいい人で、イラクにいる叔父さんと連絡を取ってくれた。叔父さんの指定するトルコ国境近くの場所まで行った。でもそこはISの支配地域だし、国境の先にはトルコ軍もいる。叔父さんは国境の密輸業者に話しをつけてくれたけど警備が厳しく、国境を越える場所まで行ってはあきらめることを何度も繰り返した。でも最後に弟もお母さんも一緒にシリアを出ることができた。

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【ヤズディ教(ヤジディ教)】
ゾロアスター教の流れをくむといわれるが、イスラム教やキリスト教の影響も受けている。イラク、シリア、トルコなどにまたがる地域に暮らす。イラク国内に は最も多く、およそ60万人が暮らし、クルド語を話す。フセイン政権下では迫害され、イラク戦争後はイスラム武装勢力から「邪教」として狙われてきた。ヤ ジディ教、エズディ教とも表記される。(メディアでは「ヤジディ」と表記されていますが、本稿では本来の発音に近いヤズディとします)


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