しかしその3、4か月後、IS指導者バグダディが、ナクシュバンディのメンバーに対し、自分たちの下で働くことを命令したといいます。ナクシュバンディはISやアルカイダとは考え方が違います。同等に扱ってもらえないことを知ったメンバーたちは反発し、その後、バグダッドなどへ移ったといいます。残った一部はISと敵対、各地で撃ちあいなどもあったと聞いています。

モスルにはISの外国人戦闘員も多くいました。イラク政府軍による奪還戦前に、かなりの外国人がシリア側に逃げたと思いますが、残った人たちもいた。家族持ちも結構いたはずです。家族には逃げ道がない。自爆攻撃などを行なうか、地元のISなどが、彼らが帰国できないよう、殺すのではないかとさえ思っています。豊かな国から、こんな場所へ来て、哀れとしかいいようがありません。

積極的にISに協力した部族もあれば、部族長や家族を殺すと脅されて恭順した例もある。ISは、イラク・シリア各地で恭順する部族の映像を公開し、地元の支持を取り付けたことを強調した。写真はモスルの部族に忠誠を誓わせるIS。(2015年・IS映像)

モスルからISが駆逐されたという報道が流れています。しかし、私は友人たちと、「しばらくしたら、他のイスラムの名を騙った組織が出てくるに違いない」と話しています。

ISがモスルを支配下に置いた時、市民の一部は通りに出て、ISを歓迎しました。それまでイラク治安部隊などから、ひどい目にあってきたからです。私はいったん町の外へ逃げたのですが、治安は安定していると聞き、モスルに戻りました。それは大きな間違いでした。結果として、私たちは身に降りかかる悪いことすべてを受け入れなければいけなくなりました。それにしても、まさかこんなことになるとは考えもしませんでした。ISを受け入れてしまったあと、統治が始まって統制もどんどん厳しくなった。公開処刑で死体をさらしたり、子どもを洗脳したり、住民の多くがこの集団は異常だ、と気づいたときには遅かったのです。

モスル南方バドゥーシュ一帯の部族長ら。手を差し出し、バグダディ指導者に忠誠を表明させられる。(2015年・IS映像)

私はモスルを愛しています。しかし今度また過激組織が町を制圧して横暴を振るうようなことになれば、私は家族を連れて、すぐにこの町を離れることでしょう。そして2度とモスルへ戻ることはないと思います。ISが統治したこの2年半は、私と家族にとって、それほど耐えがたいものだったのです。(つづく)

シリア・ラッカの部族。たいていISに忠誠を誓ったのち、豪華な食事がふるまわれる。部族は地域社会の伝統単位であり、部族長は名士として一族を統率する。(2015年・IS映像)

ラッカの部族恭順の集まり。ISが招待した部族長らの座に食事が運び込まれる。ISにとって部族を恭順させることは、その地域の支配権を握ることを意味した。ISが広範な地域を制圧できたのは、地方部族を押さえたことも大きい。(2015年・IS映像)

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