1日2~4時間しか電気が来ないガザ地区で夜間、充電電灯下で勉強する女子大生。だが充電式電化製品を買えない市民も多い(2017年7月、ガザ地区ハンユニス市で撮影 土井敏邦)

ガザで起こっている電力危機と日常的な停電は、真夏の酷暑に抗う術を人々から奪い、市民の暮らしと各産業の生業を窮地に追いやっているだけでなく、人々の心に様々な負の心理的影響を蔓延させている。そこにはおのずと、イスラエルによる過去3度の大規模な攻撃の記憶がある。今も消えることのない絶望と悲しみに、現在の電力危機が容赦のない追い討ちをかけていると見ることが出来る。(ジャーナリスト・土井敏邦)

◆ガザ攻撃で5人の家族を失った男性

イスラエルのガザ攻撃がほぼ1カ月続いていた2014年8月24日。この日も暑く、停電していた。外出していた一家の主人イサム・ジュウダ(50)を除く6人の家族は、外の日陰で暑さを凌いでいた。イスラエル軍のミサイルが突然イサムの家を直撃したのはその時だった。妻(当時・41)と長女(当時・13)、長男(当時・12)、次男(当時・8)、そして四男(当時・6)の家族5人はほぼ即死状態だった。唯一生き残った三男ターエル(当時7)は片脚を失い、両腕に重傷を負い片手の人差し指も失った。

ターエルはその後ドイツへ移送され1年間治療を受け、やっと車いすで移動できるまでに回復した。 父親のイサムは破壊された家の跡に新しく家を再建し、親子2人で暮らしている。11歳になったターエルは家の中では松葉づえで移動し、外出するときは電動車イスを使っている。

「愛しい家族の思い出、永遠にいなくなったことへの喪失感、寂しさと悲しさにどうしようもなくなったとき、私は妻や子供たちに会いに墓へ行きます。そして彼らに話しかけるんです。しかし何の返事もありません。さらに無力感に襲われる瞬間です。なんらかの答えが返ってきたら、まだ慰めにもなりますが。

心から愛し、共に暮らした者たちの永遠の別れで、すべては終わってしまいました」 「私の家族の死は、私個人の苦しみでした。そして今、ガザの社会全体が甚大な危機と惨事に直面しています。この電力危機には2つの問題があります。まず気候の過酷さです。暑さのために食欲も失せ、他人と話をすることも億劫になります。それがまたストレスとなり、怒りの感情になっていくんです。

もう1つの問題は“暗闇”です。暗闇の中では必要なことができません。暗闇はまた人にうつ状態を生み出します。今や世界は科学の発展、テクノロジーの時代です。しかし電気のない私たちガザ住民は、灯りを火に頼っていた中世の時代に生きているんです。私たちは暗黒の時代に暮らしています。なぜこうなったのか。この行きつく先はどこなのか。そういう疑問と不安が、私たちをゆっくり“殺して”いきます」 「ターエルは母親やきょうだいを失った上に、片脚を失い身体一部は自由に動きません。普通の生活ができないんです。

私はターエルができるだけ心が和むように、自分に合った生活ができるように努めています。息子がテレビを見たければ―それはこの年頃では普通のことですが―できるだけ見せてやりたい。また可能な限りこの暑さを凌げるようにしてあげたい。扇風機もつけてやりたい。

しかし電気がないためにテレビも扇風機さえもつけてあげられません。息子は異常な人生を強いられているのに、普通の生活もさせてあげられないんです。ターエルは外に遊びに行く機会も少なく、ほとんど家の中で過ごします。だからこそ、家を息子が過ごしやすい環境にしてあげたいんです」 「ターエルは普通の子のように動けません。

だから体重が増え始めました。太ってしまうと、他の人より暑さがさらにこたえます。母親やきょうだいを失ったことで、怒りの感情を抱くのは当然です。しかも電気のない状態でのこの暑さのために、さらにターエルはストレスが増してイライラし、いっそう短気になりました。電気のない今の状況がターエルの行動と心理に深く影響をおよびしているんです」
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