「軍政は人びとを苦しめてきた」。40代の女性は自宅の部屋に隠していたアウンサンスーチーさんの写真を手にしながら言った。(2010年10月ヤンゴン市内・玉本撮影)

その後、アウンサンスーチーさんは自宅軟禁を解かれる。形式上の民政移管が進められ、議会補欠選挙では、彼女が率いるNLDが圧勝。私は再びミャンマーに入り、歓喜に沸く市民を取材した。誰もが政治について自由に語り始めていた。しかし軍政に有利な憲法は変わらず、権力は温存されたままだった。

 

軍事政権時代のミャンマー国営テレビの画面。英BBCなどのメディアが政府と国民を敵対させているとの趣旨で、「『厄介者』が悪事を企む、電波による殺人者、惑わされぬよう気をつけろ」(2010年8月・玉本撮影)

2010年11月の総選挙では、当時軟禁下にあったアウンサンスーチー氏が率いるNLDはボイコット。写真は国軍系の連邦団結発展党(USDP)の選挙運動ポスター。(2010年10月ヤンゴン市内・玉本撮影)

2014年、ウィンティンさんが病気で亡くなったとの知らせを聞いた。葬儀の際、棺に納められた亡骸(なきがら)は、青いシャツをまとっていたという。彼の遺(のこ)した言葉を思い起こした。

「すぐに民主化は実現しないだろう。私たちは何年も闘ってきたし、これからも闘うことになる。幾多の困難があっても、前進することが重要です」。

2月のクーデター後、軍は国民の統制に乗り出し、情報の遮断も始めた。ミャンマー全体が再び監獄のようになりつつある。弾圧に直面する人びとが、本当の意味で青い服を脱げる日は来るのだろうか。日本を含む国際社会は、人権状況に関心を寄せ続けるべきだ。

 

2010年11月、アウンサンスーチーさんは軟禁を解かれ、2012年の連邦議会補欠選挙でNLDは大勝。「新しい時代の幕開けであることを願う」と述べた。今回のクーデターで拘束が報じられた。(2012年4月ヤンゴン市内・玉本撮影)

2021年2月に起きた国軍によるクーデターに抗議する市民。「我々は民主主義を求める。軍事クーデターを非難する」とのプラカードを掲げている。(2021年2月タニンダーイ管区ベイ市内・BayBay撮影)

 

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年3月30日付記事に加筆したものです)