アルジェリア西端の町チンドゥーフ郊外に、西サハラ住民が暮らすサハラーウィ難民キャンプがある。2023年2月28日、この難民キャンプで第23回サハラマラソンが開催された。(岩崎有一・アジアプレス)

サハラマラソンでは、難民キャンプ内に広がる集落をつなぐ道がコースだ。(サハラーウィ難民キャンプ 2023年2月 撮影:岩崎有一)

◆のんびりしたマラソン大会の深刻な背景

サハラマラソンは、サハラ・アラブ民主共和国(国際的には承認されていないが、その背景については後述する)のスポーツ担当大臣と、世界各国のボランティアによって主催される国際スポーツイベントだ。フル、ハーフ、10km、5kmの4部門からなるこの大会は、2001年に始まった。救護体制は万全であり、補給ポイントは完備され、道を見失うようなコース設定ではない。開催地が「サハラ」であることを除いては、牧歌的な、のんびりとした市民マラソン大会だ。ただ、大会の開催趣旨には、特別な背景がある。

西サハラ全図(作成:岩崎有一)

アフリカ北西部に位置する西サハラには、サハラーウィと呼ばれる民族が暮らしてきた。西サハラを植民地にしたスペインは、1976年に植民地を放棄して撤退。その直後から、モロッコとモーリタニアは西サハラに軍事侵攻を開始し、サハラーウィによる独立解放組織のポリサリオ戦線が、抗戦した。西サハラ住民の多くはモロッコとモーリタニアからの攻撃を逃れるためにアルジェリアへ向かい、1976年、現在の地にサハラーウィ難民キャンプが生まれた。同じ年、ポリサリオ戦線はサハラ・アラブ民主共和国(RASD)の樹立を宣言する。

ポリサリオ戦線党大会の開催地チーファーリーチーに集まるサハラーウィ(RASD解放区 2019年撮影:岩崎有一)

1979年にモーリタニアは撤退したが、モロッコは西サハラ沿岸部の占領を拡大。西サハラの帰属は住民投票の実施をもって決めるとする和平案に両者は合意し、1991年に停戦に至った。
モロッコは西サハラをスペインから「解放」すると唱えて侵攻したが、モロッコの支配が西サハラに及んでいた史実はない。ポリサリオ戦線は独立を選択肢に含む住民投票の実施を求め続けている。しかし、その実現の目処は立たないまま、今日に至っている。

西サハラ最大都市エル・アイウンの入場門(モロッコ占領地 2018年撮影:岩崎有一)

サハラマラソン公式ウェブサイトには、こう記されている。
「サハラマラソンは(中略)、サハラーウィ青少年におけるスポーツと人道支援の促進を目的とすると同時に、(サハラマラソンが開催されることで)47年にわたって続くこの紛争の世界的認知が喚起されることも願っています」
西サハラ問題は、日本だけでなく世界的にも、認知度は極めて低い。ゆえに、「忘れられた紛争」とも言われる。西サハラ問題は未解決のままであり、14万人のサハラーウィが政治難民としての生活を送っている。この事実が広く共有されることを願って、サハラマラソンは開催されてきた。

チンドゥーフ郊外のサハラーウィ難民キャンプ(サハラーウィ難民キャンプ 2019年撮影:岩崎有一)

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