断崖が続く喜望峰、味も景観もすばらしいワイナリー、手軽に楽しめるサファリツアーなど、南アフリカ共和国(以下南ア)の観光資源は枚挙にいとまがないが、南アの魅力は自然美だけではない。様々に異なる人々が共に暮らす姿もまた、この国を特徴付ける大切な魅力のひとつだ。南アの多様さを確かめたく、2つのコンサートを訪ねた。(岩崎有一)

リハーサル中のドラケンスバーグ少年合唱団(ウィンタートン・南アフリカ 2017年/Winterton, South Africa 2017 撮影:岩崎有一)

今や世界に有名になった南アのドラケンスバーグ少年合唱団だが、いきなり有名になったわけではない。一般の学校生活に適応できない子どもたちが集う寄宿舎として創立されたのち、協調性と社会性を学ぶ術のひとつとして合唱を取り入れ、南ア国内各地で合唱コンサートを開きながら、徐々にその名が知られるようになっていった。

同少年団学校マーケティングマネージャー(取材時)のスティーブンは、控えめにこう話す。

「初めから大成功だったわけではありません。当初は国内各地の小学校や公民館などで、合唱の成果を発表するためにコンサートを開いていました。満席になることなどなかったようです」

ドラケンスバーグ少年合唱団学校マーケティングマネージャーのスティーブン(ウィンタートン・南アフリカ 2017年/Winterton, South Africa 2017 撮影:岩崎有一)

当時のドラケンスバーグ少年合唱団学校には現在のような自前の音楽ホールはなく、合唱の成果を発表するために、町々を巡りながらコンサートを開いていたのだった。満席にならずとも、少年の美しい歌声はどこでも歓迎されただろうと思いきや、そうではなかった。

「正確な時期がわからないのですが、70年代後半から黒人の少年と白人の少年による混声を続けてきました。当時は、黒人が混じっているのなら、ウチでのコンサートをすることは受け入れられないと言われることも、よくありました。」

同合唱団学校の創立は1967年のこと。南アの人種隔離政策アパルトヘイトが終わったのは1994年。ドラケンスバーグ少年合唱団は、異なる肌の色の子どもたちが並んで歌を歌うことが国家の制度として許されていなかった時代から、「混声」による合唱を続けてきたのだった。

スティーブンが、校内を隈なく案内してくれた。この部屋には、海外公演を行なった際のポスターが並べて掲げられていた。(ウィンタートン・南アフリカ 2017年/Winterton, South Africa 2017 撮影:岩崎有一)

「黒人がいないのだったら、コンサートを開いてもいいと言われることもありました。そのような場合にはコンサートそのものを開かず、何も歌わずに帰ってきました。コンサートのキャンセルは、よくあったことだと聞いています。私たちの合唱団は、黒人の少年と白人の少年の両方あっての合唱団です。黒人の少年だけを除いた合唱などできません。」

南アの人々と話をしていると、「アパルトヘイト」という言葉は、発する側にとっても聞く側にとってもかなり語感が強く、どぎつい。そのため南アでは、アパルトヘイトがあった時代とそれ以降を示す際にはこの言葉を使わず、「94年以前」「94年以降」とだけ話す人々が多い。アパルトヘイトは、南アに暮らす黒人にとっても白人にとっても、今も痛々しい歴史として心に刻まれている。
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