◆砂埃の立つ寂しい町から、暗闇のない都市へ

大通りを進んでいくと、遠くに黄色い「M」の看板が見えた。官庁・ビジネス街と住宅街の境目となる円形交差点の隣に、マクドナルド・エルアイウン店がそびえ建っていた。
アメリカンポップスのBGMが流れる空調の効いた店内に入り、液晶ディスプレイのタッチパネルから注文をした。強烈な違和感が押し寄せてくる。ここは、帰属未決の係争地「西サハラ」だ。パレスチナやカシミールにマクドナルドがある風景を想像してみてほしい。
いつごろ開店したのかをたずねると、男性マネージャーが飛んできた。
2017年の5月にオープンしました。どうです、すばらしいでしょう。偉大なアイデアだと思いませんか。」
彼が答えるよどみのない英語も、さらに違和感を後押しした。モロッコ占領下の西サハラでは、英語の話者は少ない。

エルアイウンのマクドナルド店内。写真左の男性がマネージャーだ。メニューに「RoyalChili(高貴なチリペッパー味)」とあるのは、モロッコに王室(Royal)があることを意識してのことか。ちなみに、ビッグマックの味は、日本のそれとなにも変わらなかった(エルアイウン・西サハラ/El Ayoun, Western Sahara 2018 撮影:岩崎有一)

マクドナルドの先には、店舗と露店が1km以上にわたって続く、大きな市場があった。
食料品、衣類、電化製品、化粧品、医薬品、玩具……、あらゆる日用品が並べられ、積み上がっていた。夕方を過ぎると人出は急激に増え、自分の足元すらみえないほどの混雑が、毎日続く。どの店でも、店員は忙しそうに手を動かしている。商品を搬入しようと、頭上に段ボール箱をのせた人が、人混みの中を前から後ろから分け入ってくる。
子ども服を選ぶ女性、携帯電話が並ぶディスプレイを見つめる青年、ジャガイモの入った大袋を抱えて妻の後を追う男性など、買い物客はみな、にこやかだ。モロッコの大都市にはいつも物乞いがいたが、エルアイウンでは一度も見かけることはなかった。

マック以外にも、テラス席を備えるレストランなど、小洒落たレストランがいくつもあった。一般的な食堂における食事の、倍ほどの価格設定だった(エルアイウン・西サハラ/El Ayoun, Western Sahara 2018 撮影:岩崎有一)

西サハラが「スペイン領サハラ」だったころから、エルアイウンは西サハラ北部の中心地だったが、これほどの賑わいとなったのは最近のことだ。
私は、1995年、2001年、2003年にエルアイウンを訪ねている。当時のエルアイウンは、ひとつの地域を代表する「最大の都市」と呼ぶには、ずいぶん寂しい感じのする町だった。大通り以外は未舗装路が多く、砂埃がたつ。夜になれば中心部でも薄暗く、食事のできる店も多くはない。高級レストランなぞ、目にすることはなかった。整ってはいるものの、いまひとつ活気にかける、無機質な感じが印象に残っている
あれから15年。エルアイウンは、市内は隅々まで舗装され、闇のない夜があり、マクドナルドまである町へと変貌していた。

2003年のエルアイウン中心部のメッカ通り。整った街並みが形成されつつあったが、寂しさのぬぐいきれない、埃っぽい町だった(エルアイウン・西サハラ/El Ayoun, Western Sahara 2003 撮影:岩崎有一)

上の写真と同じ場所から、同じ方向をのぞむ。埃っぽさは消え、新しい建物が増えた(エルアイウン・西サハラ/El Ayoun, Western Sahara 2018 撮影:岩崎有一)

エルアイウン中心部、メッカ通りの夜。日が暮れると、閑散としていた。裏通りに入ると、どこも薄暗かった(エルアイウン・西サハラ/El Ayoun, Western Sahara 2003 撮影:岩崎有一)

上の写真と同じ場所から、同じ方向をのぞむ。街路樹が植えられ、店の数も増えた。夜になっても、通りには賑やかさが残っていた(エルアイウン・西サハラ/El Ayoun, Western Sahara 2018 撮影:岩崎有一)

2003年、エルアイウン中心部のメッカ通りとスマーラ通りの交差点付近。都市計画庁の前に国連車両が集まっていた。ここはエルアイウンのなかでも中心部中の中心だが、周囲の建物は、まだ作りかけだ(エルアイウン・西サハラ/El Ayoun, Western Sahara 2003撮影:岩崎有一)

上の写真から100メートルほど離れたもうひとつの交差点脇に、マクドナルドが建った。隔世の感がある(エルアイウン・西サハラ/El Ayoun, Western Sahara 2018 撮影:岩崎有一)

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