外出禁止令で人影がまばらなインド・スリナガルの下町。建物中では人々が息を潜めている。(2016年撮影・広瀬和司)

<<第1回
インド側のカシミールはパキスタンとの係争地だったため、州憲法を持ち、外交、防衛、通信以外の自治が認められ、不動産の購入も住民に限られる等、特別な地域として優遇されてきた。その一方で、統合を進めようとするインド政府の州政治への干渉も強かった。しかし、憲法370条がある限り、インドの中でカシミールの独自性は保たれると信じられてきた。だが、その不可侵だったはずの聖域も、とうとう崩されてしまった。(広瀬和司・アジアプレス)

◆憲法370条撤廃の必要はなかった

カシミール紛争の始まりは、インドとパキスタンがカシミールの領有を争った1947年の第一次印パ戦争に始まる。当時、ジャンムー・カシミールはヒンドゥー教徒のマハラジャ(藩王)に治められた独立した藩王国で、インドにもパキスタンにも属していなかった。藩王は独立を画策していたが、それを察知したパキスタンは民兵を使い(正規軍だと問題が起きるため。但し、指揮官はパキスタン軍人)侵攻した。

対応に困った藩王は、インドに救援を求めたが、インド側はインド帰属を誓うことを条件とした。そのため藩王は「帰属文書」にサインし、インド帰属を決めた。ただ、それは無条件にではなく、帰属文書には将来できるインド憲法を受けいれるわけではないと書かれていた。これを元にカシミール側とインド側が話し合い、カシミールの特権的地位を認めた憲法370条や憲法35条A、またインド政府との関係を定めたデリー合意の内容を決めたとされる。

 ちなみに、第一次印パ戦争は、国連の仲介で停戦し、その監視下で住民投票で帰属を決めるとされた。実際は両国が占領地域から撤兵しないなど、協力がないため現在まで行われていない。
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