罵声を浴びせられた米兵の中には、銃口をこちらに向け、発砲する構えを見せた者もいた。警備兵があわててその兵士をいさめたものの、一瞬緊迫した空気が流れた。
目撃者のひとりは拾った薬莢を掲げながら、「米軍と戦った(イラク中部)ファルージャの住民は英雄だ。彼らと比べ、ここの人間はまだ米軍に抵抗すらしていない。われわれが意気地のないチキン・ピープルでないことを見せてやれ!」と絶叫している。

これまでサマワ付近は比較的治安が良く、米軍に対する襲撃もほとんど起きていない。それでも人々の間に沈殿しつつある占領への怒りは、きっかけさえあればマグマのように噴出する。
占領状態に苛立っているのは住民だけではない。各国から派遣された兵士たちもイラクの人々の敵意の中で精神的にも疲弊し始めている。

サマワ地域の治安を担当するオランダ軍の若い兵士は、事件現場を取材する私にも、「メディアの連中は、なんでオレたちを応援しないんだ。オレたちは命を賭けて戦っている。それをあら探しばかりしやがって、お前らはクソみたいな人間だ」と悪態を吐きながら、「どけっ、どくんだ!」とわめき散らす。

米軍の中にも「なぜこんなにも憎まれなきゃならないんだ」と困惑する兵士が少なくない。「解放者」として歓迎されるはずだったのに、来てみればまったく様子が違う。その理由を彼らはまだ理解しているようには思えない。

サマワの事件では銃撃を受けて道路わきに突っ込んだトラックへ、米兵はさらに銃弾を浴びせている。トラックの右の胴体に点々と残る弾痕はそのときのものだ。車の中の人間が動かないのを確認してから、米兵は助手席で苦しむ青年を車から引きずり出し、後ろ手に縛り上げたのだという。

その後、米軍は何の手当てもすることなく、息も絶え絶えの被害者を道路に放置していた。救護するという発想はまったくないらしい。後の調査によれば、撃たれた2人はバスラの住民で、「テロ」や「襲撃」とは関係のない、一般市民である。

米軍の誤射もしくは過剰防衛だったことは明らかである。彼らが撃たれねばならない理由は何もない。
占領軍による発砲事件は毎日のように発生している。しかし、現地の人々を射殺しても、兵士たちが罪に問われることはほとんどない。被害者への謝罪もなければ補償もなされない。手術が行なわれたサマワ総合病院へ、加害者である米軍関係者はひとりも姿を現さなかった。

イラクの人々はこのような不条理に対して怒っているのだ。欧米で認められている「人権」は、いまのイラクには存在しない。
「民主主義を唱えながら、米国のやっていることはわれわれを力でねじ伏せることだけだ。米国は民主主義を銃口から産み出そうとしている」
サマワで会ったバグダッド大学の元講師は、苦渋の表情を見せながらそう言った。

ここでは占領軍はすべての権力を掌握している。誰も彼らを制止することもできなければ、取り締まる法律もない。占領軍の行使するむき出しの暴力は、人々を傷つけ、占領体制への決定的な不信感と憎悪を植えつけるばかりである。

自衛隊派遣はこのような道理なき占領への加担であり、「国際貢献」とは無縁である。「ヒロシマ、ナガサキを経験したヤバン(日本)がなぜアメリカに協力するのか」。イラクの人々が突きつけるその問いに、私たち日本人は答える義務がある。
(この原稿は3月12日発売の「週刊金曜日」の記事に加筆、修正を加えたものです)

 
       警備用の米軍装甲車     米兵に撃たれたピックアップ・トラック

 
「くたばれブッシュ!」「くたばれアメリカ!」     米軍の撃った機関銃の薬きょう

 
現場で米軍に抗議するイラクの人々     警備にあたる米軍兵士

   
米兵に撃たれて手術を受ける19歳の青年    

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