(写真右:アブグレイブ収容所前で取材するショーンさん。(撮影:玉本英子)
日本政府の対応と違ったのは、駐留米軍当局者がショーンさんに本国帰国を強くすすめたものの、最終的には本人の意向を尊重して、彼はイラクに留まり取材を継続することができたということだ。

「犯人は教師、エンジニアなど普通の人たちだった。しかし、自分がアメリカ人と分かれ殺されていたかもしれない」とショーンさんは語る。所持品はとられず、すべて返還されたという。

2日後、私たちは一緒に、米兵によるイラク人虐待が報じられるアブグレイブ収容所に向かった。誘拐犯がアブグレイブ収容所の虐待について話していたため、ぜひ訪れてみたかったのだという。
収容所の入り口では、気温40度の暑さのなか、収容者との面会を待つ家族たちが列をなしている。

人びとはショーンさんのまわりにやってきて、「あんたは何人なのか」と聞いていた。彼は笑顔で「ロシア人です。モスクワから来ました」と答え、取材をはじめた。
しかし、帰りの車の中で彼はぽつりと言った。
「僕はアメリカ人だけど、この占領に反対している。でも今のイラクではアメリカ人とは言えない。それがつらい」

私たち日本人も、自分が日本人とは言えない状況になっている。
アブグレイブ収容所の前でイラク人の若者たちに、「中国人ですか?」と私は聞かれた。一瞬ためらいながら、「はい、そうです」と答えてしまった。

ウソはつきたくない、でも今のイラクではどうしようもない。自国政府が米軍の占領統治に協力している国々のジャーナリストたちに重くのしかかる。
その後、ショーンさんはイラクを出国した。

取材の資金が切れたことと、同じく誘拐されていたアメリカ人が首を切断され惨殺されたというニュースが報道され、ロシア人の人質も殺害されたからだという。
「アメリカに戻ったら、自分の体験を通して、米軍によるイラク占領の実態をアメリカ人に伝えたい。必ずまたイラクに戻ってくる」ショーンさんはそう最後に話した。

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