施設の門前には数台のパトカーが止まり、関係者のものと思われる車両も見られるが、私がインタビューをしたかった熱狂的な保守系市民の姿は見られない。時刻は午前11時、幸い式典はまだ始まっていないらしい。施設内への入場を試みるが、許可証を持った関係者以外、立ち入りは出来ないと丁重に断られた。
周囲を見回してみると、一人の若者が風上に背を向け、寒そうに芝生の上に座り込んでいる。話しかけてみると、彼も式典のためにカーシャーンからやってきたのだという。

「大統領に会えると思ったんだ。会って、仕事をくれって頼もうと思ったんだけどね」
26歳のバスィージ(市民動員軍)だという彼は、現在無職で、アフマディネジャード大統領に直訴するためにやって来たという。バスィージ出身の大統領になら自分の声が届くかもしれないと思ったのだろう。
バスィージ青年と話し込んでいると、パトカーが脇に止まり、職務質問してきた。このとき、パスポートを家に忘れてきたことに気が付いた。早朝、慌しく家を出たせいだ。

「ちょっと来なさい」
式典どころではなくなってしまった。私はそこで1時間ほど待たされたあげく、カーシャーンの警察署まで連行されることになった。パトカーがカーシャーンへ向かう途中、あろうことか『祝!核技術国民記念日』の横断幕を掲げ、核施設へと向かう、市民を乗せた何台ものバスとすれ違った。カーシャーンの警察署では、穏やかながら4時間近く事情聴取され、夕方になってようやく解放された。パスポート不所持では宿にも泊まれないため、そのままテヘランに一旦戻るしかなかった。

その晩、テヘランの夜空には打ち上げ花火が上がり、テレビのニュースではナタンズ核施設での式典の模様と、施設前で熱狂的にイランの核の権利を叫ぶ市民の姿が映し出されていた。そしてこの日、イラン全土の学校では朝9時に鐘が鳴らされ、全校生徒で「核エネルギーは我々の明らかな権利!」、「アメリカに死を!」、「イスラエルに死を!」、「神は偉大なり!」の大合唱が唱えられたという。(つづく)