「先軍政権」は「どれだけ挑発しても発展した国々は戦争することができない」という言葉を意図的に流布したに違いない。
また、「準戦時」だと騒ぎ立てながらも、「実際に朝鮮が戦争を起こすわけではない」という言い訳を、国民にはくどく広報していた。
「戦時の雰囲気を出しすぎないように、人民たちを不安にさせないように」。
上部のこのおどおどした方針は、現在、二号縲恷l号食糧倉庫(注2)が空っぽで、国家の指揮統制能力がかなり弱体化している現状で、実際に国連決議案に対抗する「準戦時」宣布に臨んだ場合、民衆の間で起きる可能性のある混乱の発生を、実は上部が何より恐れているという事実を暴露したといえる。

一般住民の間で出ている意見を集めてみると、庶民のレベルでも行動と考え方に面白い変化があった。
この十年間を市場で暮らしてきた経験によって、実利的な考え方が身につき、国家の政策に対しても、以前にはなかった大胆な経済的評価を下すようになったのだ。

ミサイル発射によって国際社会から経済制裁を受けた場合、自分たちの生活にどれぐらいマイナスがあるのか、どの商売が打撃を受け、逆にどの商売が利益が見込めるのかを、普通の庶民が議論していたのである。

例えば、経済制裁が始まると米の値段が上がるから、今から買い占めておこうとか、日本から中古自転車の輸入が止まるから自転車屋が儲かるなど、国際的孤立を政治の問題として受け取るのではなく、自分の生活と関連付けて考えていたのであった。
中間幹部たちは、米国の金融制裁に対して、以前にはなかった不安を述べ立てるようになった。これは、金融制裁の効果が、朝鮮国内の市場活動全般に影響を与え始めていたと解釈できる。

生活用品を卸売りして外貨を稼いでいるある貿易会社では、決済の困難さが商売に大きく影響し始めたので、金融制裁のパワーを実感して、制裁を招いた政府の方針に不満を隠さなかった。

「準戦時」宣布は、外見上は派手で勇ましかったが、その内実は凡庸なショーにすぎず、大きな影響を持つことはなかった。
第一、今や朝鮮の重要な経済活動の場に成長した市場に、大した変動が見えなかったのだ。非生産の分野である学生や軍人が少し動かされただけの消極的な措置でしかなかった。

もし、効果があったとすれば、軍人、青少年に対する思想教育のきっかけとして利用されたということだけであった。
(おわり)

注1 先軍政治とはあらゆる面で軍を優先・重要視する政治のこと。
九〇年代の体制危機の時に、軍優先、軍投入の非常時体制を採ったことから始まった。

注2 二号縲恷l号食糧倉庫 戦時のための食糧備蓄倉庫。重要度によって一号から順番がつけられている。
一号倉庫のみが手つかずで、残りは空っぽになっているということだ。
<<<連載・第2回   記事一覧   連載・第4回>>>
連載第1回は、会員でなくてもお読みいただけます。

★新着記事