六〇年代末縲恷オ〇年代 農民市場の復活と外貨稼ぎの登場
結果として、一九六〇年代末から一九七〇年代中葉の間に、消えつつあった農民市場が復活し始めた。
この市場は、農民はもちろん多くの都市住民にも経済的便宜を提供した。そして農村だけでなく平壌(ピョンヤン)、咸興(ハムフン)、清津(チョンジン)、新義州(シニジュ)などの都市にも比較的大規模な農民市場が一つ、二つと出現した。

したがって商品として、農産物だけでなく国営工場、企業所で生産/供給された消費財も多くなった。
この時期の国家による市場統制は、計画経済への侵食を防止しようとしたため、単純に縮小させる、あるいは消滅させようとする性格が色濃かった(「社会主義の完全勝利」に到達し中産層の生活水準が上昇すれば、市場は完全に凋落するという主体思想の理論による)。

だが、農民市場の出現・拡大が見られるようになった一九七七年以後、全国の市、郡に外貨商店(外貨でのみ販売する国営商店)が出現した。
毎年四月一五日の金日成首領誕生日に、人民に贈り物(「四・一五贈り物」)を配給するという名目で、「党中央」(金正日、「またも始まった市場の「抑制」 解説1」注5を参照のこと)が握る独占的外貨調達ビジネスを始めたことがその理由だ。

首領の偉大性を誇示するこの大規模の無償の贈り物は、国家計画経済が運営する商業形態では、とうてい実現不可能なので、「『党中央』がそれを引き受けるためには、『党の独自資金』の確保が必要だ」という理屈が考えられた。これが新しい党の外貨調達ビジネス創設の理由だった。
計画経済の担当者たちは、この外貨調達ビジネスには決して賛成ではなかったが、政治的理由で反対することはかなわなかった。

それでは、外貨調達とは、どのようにしてやるのか?
簡単に説明すれば、国内の農民市場で集めることができるとんでもなく安価な品を、資本主義市場に国際価格で独占輸出することによって、天文学的な高利潤を上げることができたのである。
国内の農民市場と国際資本主義市場の価格差を利用して儲ける「特権」は、一九七〇年代にはまさに「党中央」だけが独占した。

「党中央」による外貨調達のための輸出商品は、名目上は予備(計画経済管理の枠外の商品資源)を探さねばならない。それは例えば松茸が代表的である。
朝鮮の咸鏡南道洪原(ホンウォン)郡以北の東海岸地帯は、高品質の松茸の産地だ。ここには約二〇余の市、郡があるが、一九七〇縲恃ェ〇年代、一つの市、郡だけで年間約八〇〇縲怦齠Z〇トンの松茸を産出していた(筆者が体験から推定。日本に輸出される特等品以外も含む)。
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