しかし今は、年配者が懐かしがる配給制なんてもう存在しない。もちろん、国家が「働かざる者、食うべからず」というのも分からないではない。しかし、今の配給制度は働く世帯主には配給が出るが、子育てと家事を担う妻の分は配給されないも同然だ。
こんな制度である以上、もはや配給制維持にこだわる必然性は全くないではないか。

われわれ若い世代の意見は上の世代とはまた違う。若い世代は隣の中国の状況を見習うべきだと思っている。
配給制はやっぱりだめだろう。いや、むしろ配給制が続いてきたために今日のような食糧難が起こったと言える。だから配給制を廃止し、各自が働いた分だけ現金でその報酬を貰う制度を確立しなければならない。

国は食糧配給という形にしがみついていているが、働いた分の報酬を食糧で支払おうとするのはだめだ。米より融通のきく金というものがあるではないか。働いた報酬は金で支払い、労働者はその金で米を買い、消費できるようにしなければならない。
米は市場で自由に扱えるようにして、職場で稼いだ金で各自が好きなように、自由に買えるようにすれば、みんな自分の仕事に責任を持って一生懸命にするだろう。

現状は職場へ出ても誰も一生懸命に働かない。いくら働いても配給も月給ももらえないのだから当たり前だ。
堤防工事をするにしても、無理矢理駆り出されて仕方なく出て行くだけだから、一生懸命に働かないのは当然だ。働いても一銭の報酬も出ない上に、交通費や昼食まで自分持ちなのだ。こうして作った堤防がまともなものであるはずはなく、次の年にはまた決壊してしまう。堤防というものは何十年も先を見通して作らなければならない。

そのためにも労働に見合う報酬を与え、やる気を起こさせないといけないのに、いくら頑張ったところで何ももらえないからいい加減な仕事をして終わるのだ。だからいくら作っても手抜き工事にならざるをえず、翌年の水害でまた決壊してしまう。一事が万事こんな具合だから、経済水準が低くなる一方なんだ。
(つづく)

注1 罪を犯して服役している人たちは、教化所などの拘禁施設のことを「革命大学」と呼ぶ。
日本の統治下で罪人として監獄送りにされていた革命家や思想家たちが、解放後、人々の尊敬の的となったように、罪を犯さずには生きていけない今の朝鮮では、未来を先取りする先覚者が教化所に収容されるのは通過儀礼のようなものであり、そこで多くのことを学ぶと考えられている。

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