リム それは、鍛錬刑(注1)のような軽い刑も含めてか?
キム 鍛錬刑なんかは郡単位で受けるものだが、そういうのじゃなくて、全国の各道に設置されている教化所でのことだ。経済犯の教化所だけでも全国に一二カ所あって、その全ての教化所で死体は焼くんだ。家族は亡骸を取り戻すこともできないし、そもそも教化所からは生きて出てくること自体が難しい(注2)。

リム 焼いてしまう理由は、何か病気にでもなったからですか?
キム いや、焼くことになっているんだ。その理由は、死んだ人間に子供がいる場合、もし教化所で死んだ親の亡骸を返せば、子供が共和国に恨みを抱くからだということらしい。「親父はあの苦難の行軍の時でさえ生き延びたのに、こんなところに入れられて死ぬなんて! 親父の恨みを晴らしてやる!」と、家族が復讐心を抱くから引き渡さないというのだ。

だが、そんなふうにすればするほど、人々の復讐心は大きくなる。父親の生死もわからず、死んだと言われれば「そうか」と思うしかなく、本当に死んだのかどうか確認もできない。せめて亡骸だけでも見ることができれば少しは納得がいくのに、それさえ許されない。自分の父親が今、どこかに連れて行かれて働かされているかもしれないのに、それすら分からない。そんな子供が全国にごまんといるんだ。

そのうえ、この子供たちは社会からは犯罪者扱いされる。軍隊にも行かせてもらえないし、仮に行けたとしても一番大変なところへ送り込まれる。父親のせいで。そんな人間の心の中にどんな感情が生まれるだろうか。

リム だが、国境地域に住む人間の八〇パーセントとはねえ......。どうしてそんなに多いのですか?
キム 八〇パーセントなどと言うと大げさだと思われるかもしれないが、九四年ごろから餓死者が出始め、そのピークは確か九六年のことだったと思う。この頃から実際問題として、国家は、民衆全員を犯罪を犯さないと生きていけない境遇に追いやったのだ。
ただ食べていくためにレールの釘を引っこ抜いてトウモロコシと交換したり、牛を盗んで食べてしまったり。世の中にそんな人間があふれた。この事態に慌てた国家が、九七年からは罪を犯した者を手当たり次第に銃殺した。だが、腹を減らした人間には道理もヘッタクレもない。

「腹が空き過ぎると牛の糞がパンに見える」というが、うまく言ったものだ。教化所の中での生活は、まさにケダモノの暮らしだ。経験者である私が言うんだから間違いないよ。
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