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ナイジェリア西部のヤシケラという小さな町で、コーラを飲むために小さなバーを訪れた。薄暗い店内は、トンネルの中のようにひんやりと涼しい。喉を潤すだけでなく、熱い日差しに疲れた体を癒したくもあった。

注文したコーラを待っていると、子供が一人二人とやってくる。私の姿を覗くためにである。外国人を目にすることが珍しいのだろう。店内に入って遠巻きに私を見つめ、すぐに店主に気づかれ追い払われる、その繰り返し。いつものことである。

都市部から遠く離れた町や村で小休止している際、私は何度も子供たちに見つめられてきた。
私がカバンから地図を出すと、「あれは地図だよ、地図」と、友達とヒソヒソ。水筒を取り出して水を飲むと、「はぁぁ」と小さなため息。リュックから上着を取り出せば、「アイッ」と小さく感嘆。

腕時計に目をやれば、ゴクッと生唾を飲んで彼らも私の腕を覗き込む。子供たちからすれば、未来の国からやってきた、秘密道具満載の東洋人、といったところなのだろう。
元気なときは笑顔で応対もしていられるのだが、遠巻きに小声でささやかれながら、じっと見つめられ続けるのは、なかなかにストレスがたまる。ちなみにエチオピア西部では、大便をしている様を子供たちに見つめられたこともあった。これでは、出るものも出ない。

さて、話は戻ってナイジェリアのヤシケラ。
子供が店内に一人二人と入ってきていたうちはなんとも思わなかったのだが、その人数がいつまでも増えていく。バーのご主人も、追い払うことをあきらめた。加えて、子供だけでなく大人も参加。ついには私の席から数メートル距離を置いて、店内に人垣ができた。

窓の外に目をやると、店内に入りきれない人々で群集ができあがっている。私が外を見たことに気づいた人々は、こちらを指差し、笑ったり驚いたり。この町で私は、あまりに目立つ存在だということらしい。不穏な空気は皆無だったが、コーラを飲んで一休みどころではない。私は残りを一気飲みして店を出た。外に出て、その群集の大きさに呆然。街道沿いに並ぶ数軒隣りの店先まで、人だかりが続いていた。

ヤシケラはあまりにも極端な例だが、私はアフリカで寂しい思いをしたことがほとんどない。遠巻きにヒソヒソは子供だけ。大人はストレートに話しかけてくる。どこから来た、どこへ行く、仕事は、家族は、等など。人のいるところではいつも、誰かに話しかけられることの連続だ。宿に着いて、やっと独りになれたと感じることもあるほど。

これだけ人の多い東京にいても、寂しい思いをすることは少なくない。彼の地に滞在していると、孤独感ってなんなのだろうと、しばしば思う。