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今から30年ほど前、小学校からの帰り道で、白人男性が下校中の別の小学生に、石を投げられていた。場所は、東京の大田区。

外国人旅行者が訪れるようなところではなく、周辺に住んでいる外国人を見たこともなかった。石を投げていたのは上級生。「ガイジン」が珍しく、石を投げることでしか反応できなかったのだろう。

子供心にも間違った反応の仕方であると思ったが、上級生を制止することもできず、その男性が走って去っていく姿を黙って見ていただけだった。
私にとっては、これが外国人を見た初めての機会。真っ白い肌と黒くない髪(茶髪や金髪はまだまだ一般的ではない)は鮮烈で、日本人以外の人々が存在することをはっきりと自覚した出来事だった。

この男性が見えなくなった後も、この人は日本にいる間ずっと、石を投げられるような思いをするのかもしれないと想像して、家に着くまで重たい気分だった。

今、町を歩いている黒人男性がいたとして、その彼に石を投げるような小学生はいないだろう。肌の色が異なる他者と共存しているということは、教科書やテレビの中だけでなくもう少し現実的なこととして、私が子供のころよりも感覚的にわかっているような気がする。30年前よりも、はるかに多様な人々と暮らす世の中になってきている。

それでも、日本でアフリカの人々と出会うことは少ない。「やっぱりアフリカって、怖いんでしょ」との決まり文句は、大人だけでなく学生の口からも多く聞かれる。異質なものは軽く拒絶して、落着。私にはそう感じられてしまう。

「怖いアフリカ」も「ナイジェリア人は盗人」も、30年前に見たあの小学生のように石を投げていることと、大して変わりはない。また、ウサコスで出会った元警官の言葉には、石を投げた側のトラウマが漂っていた。いったん石を投げてしまうと、投げられた側だけでなく、投げた側にも傷がつく。
無意識のうちの投石が減るきっかけとなることも願いつつ、アフリカの風景を伝え続けていきたい。