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数回前のこの連載で、西アフリカではナイジェリアに対するイメージが良くなかったことを書いたが、私が初めてナイジェリアを訪れた95年当時も、ナイジェリアの評判はとにかく悪かった。これからその地に踏み入ろうとしている私にとっては、ため息の出る話ばかりが耳に入ってきた。
例えば。

「幹線道路を走行中の自動車が、銃器で武装した強盗に襲われる。外国人や高級車が狙われている。」
「奪われそうになったカバンを押さえたら、斧で手首を切り落とされた。」
「(外国人が)ボディーガード無しで独り歩きをすることなど不可能。」
「住宅の周囲は、電熱線が入ったフェンスが3重になっている。」
西アフリカの人々からも西欧人からも、このような話をさんざん聞かされた。

加えて、ビザの取得が極めて困難だった。
当時、外国人の陸路入国は認められておらず、ビザを取得するためには空路入出国する為のチケットの提示、滞在先の住所、ナイジェリア国内の滞在者からの紹介状が必要とされていた。初めのうちは、担当者の気まぐれで意地悪をされたのだろうと思っていたが、西アフリカの国々に置かれたいくつかのナイジェリア大使館を訪れてみても、どこも同じ返答。これでは現地に足がかりのあるビジネスマンにしか、ビザを取ることができない。

しかし、治安の悪さについても、ビザについても、どうにも解せない。
まず、ナイジェリアの怖い話をする人々はあまただが、実際に怖い体験をしたという人はいなかった。すべて、そう聞いているよ、という話。ひとつひとつの噂話が事実だったとしても、それほどに危険な状況がナイジェリア国内全域で展開されているとは到底思うことができない。

ナイジェリアの治安崩壊を伝えるニュースや記事を目にしたことは無く、聞こえてくる怖い話が、頭の中でどうしても実像を結ばなかった。ただ、噂話にはしばしば、ひとつの具体的な地名が含まれていた。その場所は、ラゴス。91年にアブジャに遷都するまでの間、ナイジェリアの首都だった町だ。

また、ビザがこれほどまでに取得しにくい理由もわからなかった。ナイジェリアへの来訪者がすべて空路入国とは限らず、初めてナイジェリアを訪れようとしている者にとって、現地からの紹介状を得る手段は、普通は無いに等しい。
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