果たして、19時半、職場からの帰り道、私を乗せた車がギーシャー橋に差し掛かると、多くの車やバイクが前方からUターンして戻ってくるのが目に入った。「この先は行くな!」と大声を上げる運転手もいる。ギーシャー橋には道路の両側に近所の住人が大勢集まり、大騒ぎになっている。こんな場所で、こんな明るい時間から人が集まっているのを見るのは初めてのことだった。

そこには治安部隊は来ていなかったが、前方から黒煙が上がっているのが目に入った。2キロほど先のトーヒッド広場で衝突が起ったらしい。後で確認したところでは、トーヒッド広場ではちょうどそのとき、数百人の人々が数十人の治安部隊に投石を仕掛け、圧倒的な数で治安部隊を広場から敗走させ、気勢を上げていた。

そのときすでに、テヘラン市街の各地で衝突が起っていた。多くの場所では、トーヒッド広場とは逆に、市民に多くの犠牲者が出ていた。
以前に立ち寄った総合病院に行ってみると、案の定、衝突の負傷者や死者がすでに搬送され始めていた。現場を見たという人の周りには多くの人々が集まり、話に聞き入っている。そうした人々の中には、肩を震わせ、青ざめた表情の中高年の夫婦が多い。自分の子供が運ばれて来てはいないかと、心配でここまで来ているのだ。

その場所からでも、催涙弾と思われる、空に響く鈍い発砲音が頻繁に耳に届いた。もう、どこで何が起きてもおかしくない状況だった。
この日、テヘラン市内では数千人から1万人以上の人々が、ムーサヴィー候補の自制を促す声を無視して街頭に出た。それと引き換えに、多くの店がいつもより早くシャッターを降ろし、従業員は家路を急いだ。おかげで、普段なら0時を過ぎても車の往来が耐えない我が家のそばの通りは、早々と深夜のように静まり返った。
運命の土曜日は、この抗議運動の行方を確かに運命づけたかもしれない。

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