「ムーサヴィーさん、いつもあなたのそばに付いている奥様が、二つの専門分野で違法に修士号を取得し、その後、全国一斉試験を受けることなく博士課程に進み、大学教授となり、今は学長の席に収まっている。このことを示す証拠書類を私は持っていますよ」。
ムーサヴィーはこれに反論、激怒し、そして言った。

「この国が現在抱える問題の一つは、大統領の行政を補佐する者たちが、国民の問題の解決に奔走する代わりに、今夜の役に立てようと偽の書類を作るためにあちこち奔走して私たちを困らせていることである。私はこういう精神性を変えるために立候補したのだ」
この討論の翌朝、ムーサヴィー支持の友人は興奮気味に、私に次のような
をよこした。「昨夜の討論見たか?ムーサヴィーがアフマディネジャードを踏み潰したな」。しかし、そのことを職場のイラン人の同僚に話すと、彼は、「そうは思わない。どちらが一方的に勝ったとは言えない内容だった」と冷静に言った。

この日乗ったタクシーの運転手は、「俺はもともとアフマディネジャードを支持していた訳じゃないが、昨夜の討論を見て、アフマディネジャードを好きになったよ。今まで誰も言えなかったことを堂々と言ってのけた」と評価していた。この討論から抱く感想は、人それぞれ違っていたようだった。

筆者個人の感想を言えば、これは討論とは名ばかりで、相手の過去の過失をあげつらうばかりの、なんら建設的な内容のない中傷合戦だったと思う。最後には、どちらも相手への嫌悪感を露にし、後味の悪い終わり方だった。

若者は、言いたいことを言えば牢屋行きというこの社会で、ここまで大統領を頭ごなしに批判できるムーサヴィーという人物に、感動すら覚えたかもしれない。そもそも、イランイラク戦争中の国内政治は、ムーサヴィーが首相を、現最高指導者のハーメネイー師が大統領を務め、常に軋轢の耐えなかったこの二人の間をホメイニー師がとりなしていたという。そんなムーサヴィーにとって、アフマディネジャードなど青二才に過ぎないのだ。

一方、アフマディネジャードの支持者らは、保守本流と言われたイラン政治にあって、ラフサンジャーニー師からハータミー氏、ムーサヴィーと腐敗の根が継承されてきたことを再確認し、そのタブーに真っ向から挑戦するアフマディネジャードは、「庶民の味方」として彼らの目に映ったかもしれない。
その後、アフマディネジャード対キャッルービー、アフマディネジャード対レザーイーのいずれの討論も、取り付く島のない険悪な雰囲気の中で幕を閉じた。

選挙キャンペーンの一環として今回新たに始められたテレビ討論は、大きな驚きと波紋を内外に残して終了した。そのとき、この討論が後に国内にどのような影響を及ぼすことになるのか、予測していた人は、決して少なくはなかったはずだ。

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