恐らくは、今日、このエンゲラーブ広場周辺では、改革派のデモを強制排除するという予定は組まれていないのだろう。外国のメディアが多数入っていることが一番の理由だろう。実際には、外国メディアの目は直接ここまで届いていないが、催涙弾が放たれればデモ隊はゴミ箱を燃やすだろうし、遠くテヘラン大学の方で陣取っている外国人記者にも、ここで何かが起っているか知れるはずだ。

改革派市民が恐れることなくこのデモ行進に参加してきたのも、同じ理由に違いない。小さな子供に緑のリストバンドを巻いた親子連れが何組かいたのには驚いたが、それだけ海外のメディアが入っていることは、彼らを勇気付け、安心させるものなのだ。

結局、エンゲラーブ広場から追い返されてくる改革派の行進は、広場の西200メートルほどのところにあるバスターミナル一帯を占拠し、その数は2、3千人に上った。
午後1時、降り出した激しい雨に、多くの人がピースサインを掲げながら、意気揚々とその場を去っていった。ぼくもその場を離れた。午後から仕事があるのだ。

この日に関する後の報道では、今日の改革派の動きの中心は、エンゲラーブ広場の北東部にあるハフテティール広場とヴァリアスル広場で見られ、そこでは正規のデモ行進との衝突や、催涙弾の使用もあったという。改革派の示威行動はイランの主要各都市でも見られ、イランの公式メディアの報道では、逮捕者は35名だという。

ぼくが今日のデモを見に行った一番の理由は、どれだけ改革派が集まるのか見てみたかったからだ。このまま風化してゆくものなのか、それとも一つの政治運動として継続されてゆくものなのか。それを判断するのに、選挙から3ヶ月が経過した今日のイベントは、良いタイミングだと思えた。結論としては、改革派にはまだ十分な動員力があると言える。BBCその他の報道では、今日の改革派のデモ参加者の数はテヘランだけで数万人とされているが、妥当な数字だと思う。

しかし、改革派にとって、今日のように合法的なデモ行進に便乗出来る機会は、4ヶ月以上先のアーシュラーを待たなくてはならない。それまでに、ムーサヴィーかキャッルービーのいずれかが逮捕でもされない限り、恐怖を押しのけて街頭に出るだけの動機は、改革派市民にはない。政府ももちろんそれを知って、この二人に手を出さないのだろう。

その夜、ほぼ2ヶ月ぶりに、テヘランの夜空には「アッラーホ アキバル(神は偉大なり)」の掛け声が響いた。ぼんやりと耳を澄ましていると、なぜか「偽善者に死を!」の少女の甲高い声が甦ってきて、暗澹たる思いに駆られる。同じ国民からそんな言葉をぶつけられるのは、どんな気持ちだろうか。国民同士の政治的、宗教的対立が今後深まってゆくことを憂慮せずにはいられなかった。

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