モスルは武装勢力アンサール・スンナ軍の一大拠点となってきた。数年前には、地区に独自の検問所まで設けてコントロールしていたこともある。治安対策強化で自爆攻撃は減ったが、自動車に時限爆弾を仕掛けて攻撃する戦術が増えた。 (アンサール・スンナ軍の動画映像から)

政権崩壊後、フセイン元大統領のふたりの息子、ウダイとクサイが隠れていたのもモスルだった。バース党の強固な基盤があったこともあり、現政権に反発する人は多い。

日本人を殺害したことでも知られるアンサール・スンナ軍はこの街を拠点としていたし、シリアとの国境に近いためイラクのアルカイダ機構などの外国武装勢力の流入も絶えなかった。

これまでの米軍の掃討作戦とは、武装勢力と疑えば見境いなく殺害し、周辺に誰がいようと隠れ家ごと爆弾で吹き飛ばす、というものだった。それが米軍の「テロと戦い」であった。

家族や友人を殺された怒りは復讐心へとかわり、武装勢力を勢いづかせるという皮肉な結果となっていた。
武装勢力は当初、モスクや大学などでアメリカに反感をもつ若者を組織化し、反米闘争を急速に拡大させていた。

2004年3月、モスル大学を取材した際、大学生たちは口々に反米を叫んでいた。 「イラクを侵略し、友人を殺したアメリカを許さない」。 こうした怒りが、若者たちを武装勢力の反米抵抗闘争支持へと向かわせた。 しかし、のちに組織に過激な外国人組織が加わり、市民を狙った無差別攻撃をするなど戦術を激化させる。一般のイラク市民は、米軍だけでなく武装勢力にも反感をもち始めるようになった。(2004年、モスル大学キャンパスで。撮影:アジアプレス)

ところが自爆攻撃で市場など一般市民を狙うようになっただけでなく、反対する者を残虐に処刑した。見せしめ的にモスル市内の広場で斬首刑を行ない、市民を震えあがらせた。

「異教徒とその協力者に裁きを下すことは大イスラム史と神の道に背くものではない」
こんなビラが地区に流通したり、DVDとなって出回った。

過激化、先鋭化するにつれ、一般の人びとはついていけなくなる。
支持を得られなくなった武装勢力は、カラマ地区のような貧困地域の住民たちを組織化のターゲットにした。

わずかな現金を渡して仲間に誘ったり、武器の運び役を依頼するなどして組織に協力させていったのだった。
(つづく)
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