北朝鮮から中国に脱北・越境する人が大幅に減っている。朝中両側での警備強化が、その最大の理由である。

こちらは豆満江の最上流地帯。川幅は3メートルほどで、数年前まで鉄条網はなかった。2009年6月 延辺朝鮮族自治州にて 石丸次郎撮影 (C)アジアプレス
こちらは豆満江の最上流地帯。川幅は3メートルほどで、数年前まで鉄条網はなかった。2009年6月 延辺朝鮮族自治州にて 石丸次郎撮影 (C)アジアプレス

 

北朝鮮から中国への脱北・越境は、1997年から2000年頃がピークであった。この頃、中国側の国境警備はまるでザルのような状態で、豆満江を越えて、連日膨大な数の越境者が中国に流入していた。
この四年間だけで、のべ100万から200万の北朝鮮の人々が中国に渡ったと思われる(ただしそのほとんどは中国で何らかの支援を得ると北朝鮮に戻った)。

北朝鮮国内の社会混乱と飢餓の拡大によって、民衆を中国に向かわせる力(プッシュ要因)が国内で強く働いていたせいである。
当時、中国当局は国境警備を担う「辺境防衛部隊」の国境巡回を強化しつつも、流入する北朝鮮の飢民に対しては、幹線道路での検問強化や、豆満江沿いの都市・農村集落での検挙に警察力を集中していた。

鴨緑江上流に張られた鉄条網は、美しい森林地帯にはえらく不釣り合いだ。2010年7月 李鎮洙撮影 (C)アジアプレス
鴨緑江上流に張られた鉄条網は、美しい森林地帯にはえらく不釣り合いだ。2010年7月 李鎮洙撮影 (C)アジアプレス

 

朝中国境は1400キロにも及ぶ。飢民流入そのものを物理的に阻止するには、莫大な予算と人員が必要なため、潜伏している人たちを検挙して強制送還する方針を取っていたためだろう。

しかし、2000年に入った頃より、北朝鮮から飢えた軍人が越境して来て中国側の村で食べ物をねだったり、密輸が横行したり、果ては越境者による強盗、殺人事件が発生したりするに及んで、国境線そのものの監視と警戒を重視する傾向が強まった。
5,6年前から中国当局は、国境線のうち、越境や密輸のポイントとなっている場所に、集中的に鉄条網を設置し始めた。

監視カメラが急増したのは2000年になってから。鴨緑江に向けて可動カメラが越境を24時間警戒する。2002年8月 吉林省の長白県にて 石丸次郎撮影 (C)アジアプレス
監視カメラが急増したのは2000年になってから。鴨緑江に向けて可動カメラが越境を24時間警戒する。2002年8月 吉林省の長白県にて 石丸次郎撮影 (C)アジアプレス

 

国境付近の住民の安全問題や、麻薬密売や人身売買など、国境をまたぐ犯罪行為の取り締まりのためには、国境警備の強化はいたしかたないのだろう。
しかし一方で、食べ物と自由を求めて中国に逃れたいと考える北朝鮮の民衆にとっては、鉄条網は、きっと牢獄の鉄格子のように見えるに違いない。 (石丸次郎)

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