米国のある高官が、党代表者会をはじめとする金正恩後継に関する一連の動きを見て「北朝鮮で起きているのは最高のリアリティショー」だと言ったそうだが、その客観的すぎる視点の置き方が腹立たしくもある。筆者にしてもテレビの画面から眺めて一喜一憂、いや「十憂」することしかできないのだから、その通りなのだが。

ここ数日感じているやるせない敗北感と脱力感の原因もそこにある。その困難さが伝えられてはや30年以上経つ北朝鮮は、なぜ、相変わらず「灰色の社会」なのか。金ファミリーとその取り巻きが一番の理由なのは間違いないが、そろそろ、外側の社会にいる人たちも責任を感じるべきではないのかと思う。

世界人権宣言第29条「わたしたちはみな、すべての人の自由と権利を守り、住み良い世の中を作る為の義務を負っています。自分の自由と権利は、ほかの人々の自由と権利を守る時にのみ、制限されます。(谷川俊太郎訳。アムネスティ日本HPより引用)」を読み直すまでもない。

だからこそ弱い感情など今日限りで捨てなければならないのだろう。30代の私の世代にとって、もはや当たり前になってしまった北朝鮮社会の惨状。これが今後どう変わっていくのか、もしくは変わらないのかを、北朝鮮内部の人々と共に一層しっかりと記録し、世に伝えなければならない。
だがおそらく今必要なのは「社会を変えていく」強い覚悟を今一度持つことではないかと思う。もしかしたらそれは既存のジャーナリズムを逸脱する「運動家的な」考えかもしれず、度を過ぎた干渉かもしれない。

しかしコリアンであることを差し引き、一人の人間として考えても、余りにも苦しい北朝鮮の人々の「生」を前に、「見守るだけですみません」とはもう思いたくない。ジャーナリズムと運動を組み合わせた「ジャーナルアクティビズム」があってしかるべきでないか。
そんな事を思いながら、「後継者デビュー」のテレビ映像の中、緊張しているであろう、黒服の金正恩に向かって「あんたには負けんぞ」とつぶやいてみた。(李鎮洙)

★新着記事