◇失われるもの その1:李明博政権の北朝鮮政策における発展の可能性

金寛鎮(キム・グァンジン)新任国防部長官に任命状を手渡す李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領。金長官は就任式に際し、北朝鮮が再度軍事挑発を行う場合には「強力な報復」を行う旨を明らかにした。写真は12月4日。韓国大統領府(青瓦台)提供。

金寛鎮(キム・グァンジン)新任国防部長官に任命状を手渡す李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領。金長官は就任式に際し、北朝鮮が再度軍事挑発を行う場合には「強力な報復」を行う旨を明らかにした。写真は12月4日。韓国大統領府(青瓦台)提供。

 

○李明博政権発足後の南北関係
2008年2月に発足した李明博政権は、それまでの金大中・盧武鉉政権が採った「太陽政策(経済交流を深めることで、北朝鮮の変化をもたらす)」とは異なる「非核・開放3000」という北朝鮮政策のビジョンを提示した。北朝鮮が段階的に核を放棄するプロセスを踏む場合、それに相応する大規模な経済支援を韓国が行うという相互主義に立脚し、10年のうちに、北朝鮮の一人当たりGDP(国内総生産)を3000ドルにまで引き上げようというものだ。

これを、核放棄を迫る対決姿勢と受けとった北朝鮮は、これまで行っていた韓国への支援要請を行わなくなる。韓国も積極的に支援を行う姿勢を見せず、過去の政権では年間30万トンから50万トンに及んだコメと肥料の支援は停止した。
こうした「いらないのならやらない」という李政権の立場に対し、北朝鮮は様々な手段を通じ、韓国政府の態度変化を促してきた。2008年4月にはミサイル発射実験を、同8月には金剛山で、韓国人観光客射殺事件を引き起こす。そして2009年5月には第二次核実験を、同7月にはダム無断放流事件(韓国民間人死者6名)などを続ける。

このような北朝鮮の動きは、韓国社会の中に「北との関係断絶を望むのか」という、李政権への反対世論を一時的に後押しした。だが韓国政府は動じず、米国や日本をはじめとする国際社会との協調を深めていった。これは北朝鮮の孤立を顕在化させることになる。
このため、2009年の後半には、南北関係において、韓国が圧倒的な主導権を握る状況ができあがっていた。極端な軍事行動を除いて、北朝鮮が取れる手段は無くなり、逆に韓国は「援助カード」を温存するなど幅広い政策選択枝を手に入れた。これは前政権には無かった李政権の一つの成果であったと筆者は見る。言い換えれば「北朝鮮に振り回される状況」から脱却したのだ。
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