第6回 イラク・モスル (写真6枚)
イラク北部では、武装勢力が米軍、イラク軍との激しい衝突を繰り広げるようになった。掃討作戦が強化されると、武装勢力の攻撃は次第にキリスト教徒やクルド人など市民を狙ったものが増えはじめた。(写真:玉本英子)
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旧フセイン政権下でバース党の強固な支持基盤でもあったモスルは武装勢力の一大拠点となり、警官も次々に殺害された。とくに2004年~2007年にかけては警察署が次々に武装勢力の攻撃を受け、警官が職務放棄して逃走する事態まで起きた。のちにイラク軍が投入され大規模な治安回復作戦を展開した。写真は、機関銃をとりつけたトラックで市内をパトロールするモスル警察。(撮影・アジアプレス:2004年)
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イラク北部の都市モスル一帯はニネヴェとして聖書として名前が登場する古い街。かつてアッシリア帝国が栄えた頃にすでに存在したといわれる。キリスト教徒、イスラム教徒スンニ派・シーア派、ヤズディ教徒が宗教モザイクを構成してきた。宗教のほかに、アラブ人、クルド人、トルコマンなど民族模様もさまざまだ。民族どうしがに不振が亀裂が広がったが、互いが憎しみあう状況が起きたのではなく、武装勢力が米軍などの狙いにくい標的から、市民に攻撃目標を転換したことが混乱に背景にある。一方、米軍は掃討作戦の名のもと、市街地で市民を巻き込んだ軍事作戦を繰り返した。市民はこの衝突に挟まれて逃げ場を失っていった。(撮影・アジアプレス:2004年)
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武装勢力を掃討するため、米軍の後押しをうけて再編されたイラク軍が直接投入され始めた。(撮影・アジアプレス:2005年)
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モスル市内で検問所の警備にあたるイラク軍兵士たち。自爆や迫撃弾攻撃がほぼ連日のように起きていた。また、キリスト教地区での誘拐、殺害事件もあいつぎ、軍が地域を何重にも封鎖して警備する状況になっていた。(撮影・玉本英子:2005年)
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武装勢力とイラク軍の衝突が最も激しかったのが2005年前後。
写真は、武装勢力メンバーとしてイラク軍に拘束された容疑者。警察署の見取り図を記したメモを所持していたため、軍情報部イスティクバラットが厳しい尋問を続けていた。(撮影・玉本英子:2005年)
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相次ぐ治安作戦で地下に潜った武装勢力は、キリスト教徒、ヤズディ教徒、そしてクルド人に激しい攻撃を加えるようになる。写真はイスラム・スンニ派武装組織アンサール・スンナ軍のパンフレット。イラク軍が掃討作戦で制圧した同軍の拠点から押収したもの。自爆攻撃などの軍事声明のほかに、聖戦の意義や、イラクのキリスト教徒を「アメリカの手先」とし、標的にする方針が書かれてあった。アンサール・スンナ軍はイラク・北部では最大勢力のひとつ。2005年に日本人、斎藤昭彦さんを殺害したことでも知られる。(撮影・アジアプレス:2005年)
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