ヤン・ヨンヒ監督 (撮影ナム・ジョンハク/アジアプレス)
ヤン・ヨンヒ監督 (撮影ナム・ジョンハク/アジアプレス)

 

◆精神支配の強さ
石丸:話しは変わりますが、今、北朝鮮から合法で親戚訪問で中国に出るのが、すごく厳しくなってるんですね。中国にいる親戚に、招請するという手紙書いてもらって、保衛部(情報機関)に行って大変な賄賂払って、運がよければ2、3年に一度来られるかどうかです。そうやって苦労して中国に出た人たちも、昨年末に金正日さんが死亡した時、やはり帰国しなさいということになった。
ヤン:でしょうね。私もオッパの時、誰かが死んだのかなと思った。

石丸:ところが皆さん、500米ドルぐらいの、向こうでは大変ななお金を賄賂に払って来てるわけです。多くの人は借金して来るので、親戚に支援してもらうなり働くなりして「元」をとらないうちは帰れないわけです。金正日さんが死んだ時、中国に出てきてまだ間もない人たちの行動は二つに分かれました。ひとつは「しゃあないやん」って帰った大半の人。
ヤン:もう、真面目ですねえ。

石丸:それと、「ええい、一か八かや」と覚悟して、そのまま残った人。「絶対君主」の金正日さんが死んだのに帰国しなかったとなったら、後でどんな災いがあるかわからない。それでも帰らず、半年のビザ期限ぎりぎりまで働いて帰って行きました。
ヤン:なるほどね。おれるだけおって、みたいな。

石丸:大変な借金背負って中国に出てきたのに泣く泣く帰るというのは、いろんな後禍が怖いとか、家族が心配だということは分かるんですけどね、人の心を規制する規律の重さ、支配の強さはなんだろうと思うんです。
ヤン:ヒットラー顔負けやん、みたいな(笑)。

石丸:この重さって、単に処罰が怖いということとは違うと思うんです。精神を拘束している度合いがあまりに強い。我々にはなかなかわからない。
ヤン:骨の髄までですよ、ほんとに。
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※8/4から封切りされたヤン・ヨンヒ監督作品「かぞくのくに」の上映情報です。
http://kazokunokuni.com/theaters/index.php

「北朝鮮と私、私の家族」 ヤン・ヨンヒ監督インタビュー 一覧

※在日朝鮮人の北朝鮮帰国事業
1959年から1984年までに9万3000人あまりの在日朝鮮人と日本人家族が、日朝赤十字社間で結ばれた帰還協定に基づいて北朝鮮に永住帰国した。その数は当時の在日朝鮮人の7.5人に1人に及んだ。背景には、日本社会の厳しい朝鮮人差別と貧困があったこと、南北朝鮮の対立下、社会主義の優越性を誇示・宣伝するために、北朝鮮政府と在日朝鮮総連が、北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝して、積極的に在日の帰国を組織したことがある。朝鮮人を祖国に帰すのは人道的措置だとして、自民党から共産党までのほぼすべての政党、地方自治体、労組、知識人、マスメディアも積極的にこれを支援した。
ヤン・ヨンヒ(梁英姫)
映画監督。64年11月11日大阪市生まれ。在日コリアン2世。済州島出身の父は大阪の朝鮮総連幹部を務めた。朝鮮大学校を卒業後、大阪朝鮮高校の教師、劇団女優を経てラジオパーソナリティーに。95年から映像作家として「What Is ちまちょごり?」「揺れる心」「キャメラを持ったコモ」などを制作、NHKなどに発表。97年から渡米、6年間NYで過ごす。ニュースクール大学大学院メディア学科にて修士号取得。日本に住む両親と北朝鮮に渡った兄の家族を追ったドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」(05年)、「愛しのソナ」(09年)を監督。著書に『ディア・ピョンヤン―家族は離れたらアカンのや』(アートン新社・06年)、『北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ』(聴き手 佐高信・七つ森書館・09年)、『兄―かぞくのくに』(小学館・2012年)。
「ディア・ピョンヤン」で、山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波部門特別賞、ベルリン国際映画祭フォーラム部門最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)、サンダンス映画祭審査員特別賞、第8回スペイン・バルセロナ アジア映画祭最優秀デジタル映画賞(D-CINEMAAWARD)を受賞。
「かぞくのくに」で、ベルリン国際映画祭アートシアター連盟賞、パリ映画祭人気ブロガー推薦作品賞を受賞、他現在も各国の映画祭から招待が続いている。

 

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