視察に訪れた張氏と撮った写真の提出が命じられ、少しでも張氏と接触のあった人間は、経緯を全て書いて提出させられた。張氏という人物が存在した痕 跡自体を消してしまおうという徹底ぶりだった。そして、張派とみなされた人たちは次々に摘発されていく。社会を覆う恐怖の空気はどれほどだっただろうか。

恐怖とは別に、張氏粛清・処刑を、北朝鮮の一般民衆はどのように受け取ったのだろうか。取材パートナーたちや中国に出てきた北朝鮮ビジネスマンに訊 いた。口は重かったが、大半の人は粛清に批判的、あるいは張氏に同情的であったことは少し意外であった。いくつか紹介したい。一番多かったの道徳的な非難 である。

「あの粛清は間違っていたと思う。自分の叔父をどうやったら殺せるのだ。仮に張氏に罪があったとしても殺すことはなかった」(両江道の行政職員)※張氏は金正日氏の妹の夫

「正恩同志は本当に無慈悲で恐ろしい人だと皆言っている。叔母の金慶姫同志にも手をかけてどうにかしてしまったのではないか」(咸鏡北道の農場員)

「今回の粛清を好ましく思っていない人々が多い。上が説明するように張の一派が『政変』を企てていたとして、もしそれが成功してたら暮らしはもっと良くなっていたかもしれない。生活が良くなるんなら、資本主義を取り入れてもいいじゃないかと話してる」(両江道の労働者)

「物事が分かっていない連中は、上の言うことを真に受けて『そうか、張が悪いことを続けていたために我々の生活が苦しかったんだな』なんて言っているが、張氏は国を開放しようとしたから殺されたんだと考える人が少なくない」(両江道の主婦)

中国との経済事業を主導してきたのが張氏であるのは間違いないが、彼が「改革派」であったかは疑問である。殺されて張氏の株が上がったようである。

年が明けても張氏粛正の余波は続いている。行政職員である取材協力者が調べてもらったところ、張派とみなされた人たち約3000人が、一月中旬に平 壌など全国から両江道の山間僻地に追放されてきたという。そのうちの一つ白岩(ペグアム)郡は、高地にある農業地区でジャガイモの生産として名高いが、住 民の多くが政治的理由で都市部から追放されてきた人たちだという。

張氏粛清によって、金正恩氏を見つめる北朝鮮民衆の視線は厳しくなった。「言うことを聞かない者は容赦しない」と言わんばかりに、政権は社会の津々浦々に恐怖心を植えつけようとしている。

北朝鮮の人々は、金正恩氏を「指導者ではなく支配者」だと認めるようになったと思う。

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