ISに拉致されたサリマ。何度も自殺を考えたという。隠し持っていた携帯で家族と連絡が取れ、その後、奇跡的にクルド自治区へ逃れることができた。(ドイツにて4月撮影・玉本英子)

ISに拉致されたサリマ。何度も自殺を考えたという。その後、奇跡的にクルド自治区へ逃れることができた。(ドイツにて4月撮影・玉本英子)

サリマ(18・仮名)は拉致から1年後、戦闘員のもとから脱出を決意。「夫」アハマド(仮名)の兄に連れられモスルへ行った時、チャンスが訪れた。その後、親族と連絡をとることができ、ブローカーの手引きでクルド自治区へ逃れることができた。現在は人道団体の支援でドイツ国内のある町に滞在している。今もISに拉致された記憶が心に深い傷となっている。ドイツで話を聞いた。(玉本英子)

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父の殺害映像を見せられた
ISに襲撃された時、女性たちはバスで連れていかれたので家族がどうなったのか分かりませんでした。私を奴隷として引き取ったアハマドが、携帯電話で撮影したビデオを私に見せました。そこには私の父が撃ち殺されるところが映っていました。父が殺される映像を見て、どうして正気でいられるでしょうか。涙が止まらず、胸がえぐられる思いでした。私には兄さんが2人いましたが、彼らの消息は今も分かりません。

2014年8月、ISはシンジャル一帯を制圧すると、殺戮が相次いだ。ある村では500人が殺された。写真は戦闘員がヤズディ住民を射殺する様子。「不信仰者・ヤズディ教徒に対するアッラーの審判」としてISが公開したもの。(IS映像)

2014年8月、ISはシンジャル一帯を制圧すると、殺戮が相次いだ。ある村では500人が殺された。写真は戦闘員がヤズディ住民を射殺する様子。「不信仰者・ヤズディ教徒に対するアッラーの審判」としてISが公開したもの。(IS映像)

アハマドが10歳のヤズディ少女をレイプ、彼女の叫び声に耳をふさいだ
もうひとつ、どうしても忘れられないことがあります。アハマドの家に連れて行かれる前のことです。拉致された直後、女性はホールに詰め込まれました。その時、彼は私以外に2人のヤズディの少女を買っていたようでした。私たちはまず兵舎へ連れていかれました。

部屋にいると、アハマドがやって来て一番年下の子を呼び出しました。そして彼女を上の階の部屋へ連れて行ったのです。その後、上の階から彼女の叫び声が聞こえてきました。私と、もう一人の子は手で耳をふさぎました。彼女はレイプされたのです。まだ10歳の小学生です。ほんの小さな女の子だったのに。
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もともとの彼のアラブ人の妻、そして拉致された私とヤズディの少女2人。アハマドは4人の妻を持ったことになります。少女たちはその後、別の場所に移動させられたので、何もわかりません。私は1年と3か月もの間、アハマドとの生活を強いられました。

「なぜお前には子どもができないんだ」。彼は私を怒鳴りつけました。私は「分かりません」というしかありませんでした。繰り返しレイプされ、自ら命を絶とうと何度も思いました。きっと同じような思いで自殺をしたヤズディの女性もいると思います。

思いつめられた私の気持ちを見てとったのか、アハマドはクルド自治区にいる家族に電話をさせてくれたことがありました。ただ、電話の前には彼がいたため、自由に話せず、どこにいるのかを告げることもできませんでした。でも家族は私が生きていることだけは分かりました。そして私も逃げられないと思いましたが、その時、自殺は思い留まったのでした。

サリマがモスルへ連れられて行った時、脱出のチャンスが訪れた。大都市モスルはクルド自治区にも近い。人びとが経済的に困窮しているため、危険でもお金のために動く人たちもいる。サリマの家族がプローカーに依頼し、その手引きで脱出できた。(IS写真)

サリマがモスルへ連れられて行った時、脱出のチャンスが訪れた。大都市モスルはクルド自治区にも近い。人びとが経済的に困窮しているため、危険でもお金のために動く人たちもいる。サリマの家族がプローカーに依頼し、その手引きで脱出できた。(IS写真)

覚悟の脱出
ある日のことです。モスルに住んでいるアハマドの兄が家を訪ねてきました。私は「モスルに連れて行ってほしい」と頼みました。彼はなぜモスルに?と聞いてきましたが、「大都会モスルへ行ってみたい」とだけ答えました。アハマドと一緒に行きたいと言わなかったことで、彼に殴られましたが、毎日泣いてばかりいる私にうんざりだったのでしょうか。彼の兄と一緒にモスルへ行く許可が出ました。IS支配地域で外へ出るときは、全身をすっぽり覆う黒いヒジャブをまとうのが決まりになっていました。

モスルでは2週間ほど、彼の兄の家にいることになりました。兄には奥さんがいて、優しく接してくれたことは驚きでした。それまでアハマドと彼の妻から、ずっと蔑まれてきましたから。

私はアハマドに毎日手荒く殴りつけられていたため、頭には青黒い内出血傷ができていました。彼の兄は病院へ連れて行ってくれました。私はその時、携帯電話を隠し持っていました。病院の建物の上へ行くと、携帯電話の電波がかすかに届くことが分かりました。
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クルド自治区にいる姉と電話がつながったので、助けを求めると、「ブローカーに脱出を頼んでみる」と言ってくれました。後で知ったことですが、ISの支配地域では生活に困窮している人も多く、お金欲しさに動く人たちも少なくないのです。脱出を手引きする人と連絡がとれました。今いる場所を説明しました。「次に電話がつながった時にこちらの指示に従いなさい」と言われました。この人を信じていいのかどうか、ISのもとに連れていかれるのではないか。「夫」に見つかったらどんな目に遭うか、不安でたまりませんでした。でも他に方法はなく、またその時に、これ以外にチャンスはないだろうという思いもありました。

電話がつながると、手引きをする人が、「建物を出るとタクシーが止まっているから、それに乗りなさい」と指示をしました。運転手には私のことが伝わっていたようで、すぐにドアを開けてくれました。ISの検問では、その運転手は私を自分の妻だと言って、彼の奥さんの身分証明書を見せていました。

その後、いくつかの隠れ家を移動して、およそ2週間後、クルド自治区に逃れることができました。ただ、脱出には1万ドル(日本円:約100万)以上もかかったと後で聞きました。親戚がお金をかき集めてくれました。

米軍などの有志連合はISの重要拠点の多いモスルに空爆を続けている。戦闘員の妻や奴隷として行動させられているヤズディ女性も巻き添えで死んでいる可能性もある。写真は空爆で破壊された建物としてISが公開したもの。(IS映像)

米軍などの有志連合はISの重要拠点の多いモスルに空爆を続けている。戦闘員の妻や奴隷として行動させられているヤズディ女性も巻き添えで死んでいる可能性もある。写真は空爆で破壊された建物としてISが公開したもの。(IS映像)

今も1000人以上のヤズディ女性が行方不明
ドイツに来て数ヶ月がたちました。悲しい記憶を消そうとするのですが、突然思い出してしまうことがあります。明け方まで部屋の中を歩き回ることもあります。ISに追われる夢をよく見ます。彼らは夢の中で、お父さんと兄さんから引き離された私を捕まえようとして殴ってくるのです。今も心の中を彼らが支配しているように感じます。

私は他の拉致された女性とともに、人道団体の支援でドイツに避難することができました。私が希望すれば、このまま(庇護申請をして)ここに残ることができると聞きました。でも行方不明の兄2人が心配なので、彼らがもし生きていて、クルド自治区へ脱出できたら、イラクに戻るかもしれません。だけど、再びシンジャルで暮らすのは難しいと思います。ほとんどのヤズディ住民たちは、イスラム教徒のアラブ人を信用できなくなっています。

私は運よく脱出できましたが、逃げようとして捕まった人や、人生をあきらめたり、命を絶った人もきっといると思います。今も多くのヤズディの女性たちがISの支配地域で絶望の中にいます。彼女たちが解放される日を毎日祈っています。(了)
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<イラク>「イスラム国」に強制結婚させられた19歳のヤズディ女性(上)~集団殺戮と性的暴行、そして脱出

【ヤズディ教(ヤジディ教)】
ゾロアスター教の流れをくむといわれるが、イスラム教やキリスト教の影響も受けている。イラク、シリア、トルコなどにまたがる地域に暮らす。イラク国内には最も多く、およそ60万人が暮らし、クルド語を話す。フセイン政権下では迫害され、イラク戦争後はイスラム武装勢力から「悪魔崇拝」として狙われてきた。ヤジディ教、エズディ教とも表記される。


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