90年代半ば、国家によって厳しく供給統制されてきたコメが公然と闇市場で販売されるようになった。政治権力の無残な没落を象徴している。写真は江原道元山(ウォンサン)市の闇市場。1998年11月撮影アン・チョル(アジアプレス)

90年代半ば、国家によって厳しく供給統制されてきたコメが公然と闇市場で販売されるようになった。政治権力の無残な没落を象徴している。写真は江原道元山(ウォンサン)市の闇市場。1998年11月撮影アン・チョル(アジアプレス)

 

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承前)しかし、私にはそれ以外の選択肢はなかった。私は職場を持っていながらも収入がなかったのだ。政府に何一つ対策のない全社会的混迷運動たる「苦難の行軍」では、誰もが犯罪か死か、あるいは「コチェビ」になるかの三つの里程標に従って「行軍」するしかなかったのだ。
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「50年間続いた社会主義の共和国」の終幕はこのようにして始まった。

1995年からは、職場に出てくる者は、「超馬鹿者」となった。

私が勤めていた工場大学(従業員が数万名以上になる大企業の高等教育機関)では、学生は労働者や下級幹部であり、自然と休校状態になった。国の上級公務員である大学教員に対してすら、国家からの(配給や給与の)支給はいつの間にか消滅していた。

私は「解雇」されていなかったが、出勤してくる者を見る幹部らの目からは、いまだ国家に期待する<抗日遊撃隊式自力更生の革命精神の不足者>とみなす冷気が感じられた。そうなのだ。大学の実験資材や設備等はすべて盗難にあい、幹部管理者とそれを助ける者たちが「自力更生」するための私有物に転落していった。深夜であっても、人間の力で容易に動かせない資材や設備を学校から運び(盗み)出さなければならないほど忙しい彼らにとって、真昼に仕事もない職場へ出てくる平教員は、大いなる邪魔者でしかなかったのだ。

◆彗星のこどく現れた高利貸し

密造酒では生計を立てられないことがはっきりした1995年夏、私にもう一つの不幸が降りかかった。酒密造の元手は、前年秋に、日本からの送金で余裕のある知り合いの帰国者から借りたものだった。

1995年の冬、世の中はひっくり返ってしまった。あたかも冬眠から覚めたように、今まで存在が見えなかった高利貸闇金融の慣行が北朝鮮にも彗星のように出現したのだ。
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