人間が採集で生きたという話は、農耕の発見以前の人類歴史の記録でしか知らない私は、いくら凝視しても、砂と小石、そして水以外は見えなかった。秋のせいか、堤防の草は木の筋ように固かった。

草を摘まんで、そっと口に入れて噛んでみた。だが、いまだに知られていない、新種の食用植物発見の奇跡は起こらなかった。この草を食べて生きられる牛馬が羨ましい気がした。私は川の縁を離れた。この時ほどに、「人間は食べなければ生きられない」ということが嫌になったことはない。

行く当てはなかったが、私は殺風景な道を歩いていった。秋が差し迫ると、行き先のある人々の足取りは一層速くなったように感じられた。その光景は、まるですべての富が私から遠去かっていくかのように見えた。だが、私のように歩みがのろい人々も少なくなかった。

ふと気づくと、私の前に幼い女の子が立っていた。せいぜい10才を過ぎたばかりか。気温はすでに涼しくなっていたのだが、その女の子は素足で、肩の出たノースリーブの夏の下着の格好である。言葉は発しないが、その澄んだ瞳は何か大人の暖かい同情を期待しているようだった。

何の持ち合わせもなく、与える能力もない私は、あえてその視線を避けたが、足はそこからとても離れられなかった。少女の代りに青い空が私の視野に入ってきた。幼い時、感動的に読んだアンデルセン童話の主人公が私を見下ろす感じがした。

瞬間、私はこの女の子をどこかで見た覚えがあることに気づいた。そうだ。私の大学の同僚の娘なのだ。あわてて振り返ると、私はその女の子の首をつかんだ。するとその女の子は、私を捉えて二度と放さないというようにしがみついて、わんわんと泣き始めたのだった。(続く)

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