私はISと関わるのが怖くなり、モスクへ行くのを止めました。その時間、いつも家で祈っていました。休日の金曜日の礼拝時、ISはモスクから大音量で教導師が説く教えを流していました。彼らが何を話すのか、家の中で、いつも耳を傾けていました。

教導師は、毎週、様々な話をしていました。戦いのこと、ジハードのこと、私たち(IS)が来て皆を自由にした、などです。布告に背いた者は刑罰を与えるとか、そういうことも話していました。教導師にはモスル出身者もいたようですが、ファルージャ、ティクリートなどIS支配地域の各都市から来た人もいたようです。IS統治以前にモスクで教えを説き、地区住民の尊敬を受けていた教導師たちは、その後どうなったのかは分かりません。

モスクで礼拝する住民。こうした光景は以前から日常的な光景だったが、ISは独自の「国家統治」モデルとして積極的に宣伝した。教導師はISが選んだ人物に代えられていった。(2014年・IS映像)

これは2016年2月のモスル市内の写真。市場には多くの人が行き交っている。礼拝の時間には、商店や露店も一時的に店を閉めるよう指導された。(2016・IS写真)

宗教は自分たちを形づくるものです。それがこんなことになってしまいました。私が信じる神と、ISが信じ、また信じさせようとする神……。苦しかったです。

モスル市民が公の場で愛やロマンスをテーマにしたイラクの歌謡曲を歌ったり、踊ったりすることは禁じられました。ISは自分たちを称える歌をいくつも作っていて、若者たちが歌ったりしていました。私たち家族は家の中で、近所のIS関係者に聞こえぬよう、小さな音でイラクの歌謡曲を歌ったり、踊ったりしました。イラク軍による奪還戦が始まり、昨年11月のはじめには水道が止まり、水が出なくなりました。その後、燃料が手に入らず、発電機も頻繁には使えなくなりました。夜は真っ暗な部屋に、電池を入れた懐中電灯をつけて家族で食卓を囲みました。

IS支配下で、楽しい出来事があったのかどうか……。すぐには思い出せません。ずっと、この先どうなるのだろうかと途方にくれていました。「神様どうか家族を守ってください」。そう祈り続けていました。(つづく)

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