戦場は、それが米軍と一体となって行う戦争であれ、住民の保護を目的とする平和維持活動であれ、一人ひとりの兵士にとっては、一生涯消えることのない心身の傷を負うかもしれない、あるいは、命を落とすかもしれない場所である。「無事に」帰還しても、戦場での深刻な経験は、兵士自身のみならず親しい人々の人生も大きく変える。

彼らにそのような重大な結果をもたらす決定を下す人々―有権者である私たちも含め―のほとんどは、戦場の過酷な状況にも、凄惨な現場にも、死の恐怖にもさらされることはない。

ある元防衛官僚は、「自分が作成に関わった法律や制度の下で、もし自分が出動命令を受けたらどうするか。『犠牲者覚悟でやらなければならない』と思えるかどうか。それを我が事として考えてこなかった」ことを悔やんでいる。

彼は、そのような自分の思考について、「自衛隊員や住民の人たちの立場になって考えることは、組織人としての自分の仕事ではないと、思考停止していた」(1)と振り返っている。

兵士を戦場に送る意思決定に責任を負う一人として、「自分の仕事ではない」と「思考停止」していないか―。重い問いかけである。(了)

(1) 柳澤協二『自衛隊の転機-政治と軍事の矛盾を問う』NHK出版、2015年、236~237頁。

付記 本稿は、『平和運動』2017年4月号に掲載された「兵士の視点から考える戦争―戦場の「被害者」と選択的兵役拒否」に加筆修正したものである。

【合わせて読みたい記事】
「対テロ戦争」で米兵に募るストレス 大義不明の戦いで殺害任務、襲撃も受ける
「兵役拒否できるは世界のスタンダード」 市川ひろみさんに聞く
「殺す」側の兵士たちの兵役拒否と命令拒否(1) 兵役拒否の始まり

★新着記事