アフリン北部のメダンキ村に暮らすアル・カダール・ラハマンさんと妻。村は砲撃にさらされている(2月13日撮影・家族提供)

◆「なぜ誰も助けてくれないのか」住民の怒り

1月20日に始まったトルコ軍とシリア武装諸派によるシリア北西部アフリン攻撃からまもなく1か月が経つ。これまでの民間人の死傷者は300人以上。攻撃の激しい村落地域から1万人を超える住民がアフリン市内に逃れたが、村に残らざるを得ない人びとも少なくない。アフリン郊外北部のメダンキ村に暮らすアル・カダール・ラハマンさん(59)と電話で連絡をとることができた。(玉本英子・アジアプレス)

ラハマンさん:私はアフリン郊外、北部の村落部メダンキ村に妻と暮らしています。緑のオリーブ畑が広がる美しい村です。私は農家で、油を採るためのオリーブの木を500本以上栽培してきました。4人の子どもがいますが、今一緒にいる39歳の長男以外は皆、すでにドイツやレバノンなどに逃れました。

農家なので食料は今のところあります。電気ですが、村に発電機があり、一日5時間ぐらい使うことができます。インターネットはほとんどつながりません。学校も閉鎖されました。

村には豊かなメダンキ湖が広がります。ここはアフリン住民の水源地なため、トルコ軍機やシリア武装組織の砲弾が、大型ポンプや大型発電機などを破壊しようとしています。学校も砲撃されましたが、幸い人がおらず怪我人はいませんでした。私たちがもし負傷しても、村には小さな薬局が2つあるだけで、病院はありません。

「攻撃にさらされるメダンキ村。黒煙が上がる。(1月24日・住民提供)

攻撃が始まったとき、私の体調が悪化しました。息子は私に安全なアレッポ市に逃げるよう言いました。しかしシリア政府は住民の行き来を許しておらず、行くことはできませんでした。村の住民の半数はアフリン市に避難しました。当初は安全と思われたアフリン市ですが、砲弾が多数撃ち込まれ死傷者が出ています。薬なども不足してきていると聞きました。住民に逃げ場はありません。

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