
◆私が私であるためにステージに立つ
ウクライナの性的少数者は、この戦時下をどんな思いで生きているのか。ゲイクラブのステージに立ち続けるドラァグクイーン、ジーナの願いとは。(敬称略・取材・写真:玉本英子)

◆「おばあちゃんが分かってくれた」
黒海に面した港湾都市オデーサ。自由で陽気な風土が、この街を形作ってきた。ここまたロシア軍の攻撃にさらされている。1日に何度も防空警報サイレンが鳴り、深夜になると群れをなして飛来してくる自爆無人機シャヘドのプロペラ音が恐怖を掻き立てる。防空部隊の激しい対空砲火、響き渡る爆発音。戦争は「日常」の一部となっている。
オデーサの中心部に、ゲイたちが集うナイトクラブがある。そのステージに立ち続けるドラァグクイーンがいる。ステージ名はジーナ・スマイル。
目の前に現れた「彼女」を見て思った。デカい。190cmちかくありそうな巨体ながら、小指をかわいらしく立てるしぐさ、さりげないオネエ言葉が愛らしい。40歳を迎える彼女は、その夜のショーを前に、楽屋で入念なメイクを始めた。

「私がゲイだと最初に知ったのは、おばあちゃんだった。20歳の学生だった頃、おばあちゃんの体調が思わしくなく、私が一緒に住んで面倒を見ることになった。夕食のテーブルで他愛のない会話をしていたとき聞かれたの。『どうしてお前のまわりには女の子がいないんだい。関心はないの?』。 はぐらかしていたら、『お前はもしかして男のほうが好きな、あれなのかい』って。それで私は『うん、まあ、そうなんだ』とつぶやいたの。そしたら『あら、そうだったんだ。まあ、いいんじゃない』って反応だった。おばあちゃんがパニックになりはしないかと思ってたから、なんだか拍子抜けしちゃって(笑)」

そして、こう言ってくれた。『大丈夫、心配しないで。私はちゃんとお前のことを分かってあげる。でもね、お母さんには絶対言っちゃだめ。もし知ったら大変なことになるから』。しばらくしておばあちゃんは他界したんだけど、その言葉どおり、私は母にはゲイだとは言わなかった」
楽屋のメイクアップミラーの前でメイクを進めていくジーナ。慣れた手つきでフェイスパウダーをはたいていく。ファンデーションにシェーディングを加えると、顔がぐっと立体的になった。

◆TV番組でカミングアウト
ジーナは大学で文学を学んだあと、路面電車の操車場で働きながら、児童養護施設で臨時のロシア語教員になった。複雑な背景の児童もいたが、やさしく言葉を交わしながら接すると、慕ってくれるようになった。心を開けば信頼が生まれることを学んだ。教員の任用期間が満了し、操車場の仕事に戻る。その頃、ドラァグクイーンをやり始めた。
2013年、ある転機が訪れた。テレビ番組のリアリティショー「昼は男性、夜は女性に」に出演した。路面電車を運転しているシーンから、派手なメイクと衣装でクイーンへと変わる姿が放送された。それが、周囲へのカミングアウトとなった。


「とまどったけど、番組に出たのは、私が私であるために、という決意でもあった。でも、もし自分がゲイだと知られたらどんな災厄に直面するだろうと、指を一つずつ折りながら数えたの。路上で誰かに殴られるんじゃないかって。ちょっとした悪口ぐらいとかなら、それはもう慣れっこだから。私がキーウに住んでいたらもっと大変だったと思う」
ジーナは侵攻前、首都キーウでの新年パーティーで、ショーを掛け持ちしたことがある。衣装のままで移動のタクシーに乗り込んだとき、運転手があからさまにこう言った。
「なんだゲイかよ。こんなゲイ野郎のショーにカネを払うやつらの気が知れねえな」
キーウでは、ゲイに蔑みの言葉が投げつけられるのはよくあることだという。
「そのゲイの客を乗せて代金を受け取ってんのは、あんたじゃないかって、運転手に思いっきり言い返してやったわよ」
ソ連時代、男性どうしの性愛行為は「犯罪」として処罰された。独立後のウクライナでは、キリスト教保守層からの同性愛に対する強い反発がある。とくに高齢者には、ゲイに対する偏見がいまも根強い。人びとの意識が変わり、LGBTQを広く受け入れてもらえる社会になるのは、まだ先のことだろうとジーナは言う。
























