<現地報告>アフリカ最後の植民地・西サハラを行く(1)プロローグ 15年ぶりに訪れた現地は大変化

そもそも、西サハラ問題はどのようにしてはじまり、どんな経緯を経て今日にいたっているのか。なぜ、アフリカ大陸のなかで唯一、地図上では空白のままなのか。西サハラの歴史をふりかえっておきたい。

西サハラでは、サハラ砂漠が海に接する。海側がモロッコ占領地で、内陸部がサハラ・アラブ民主共和国解放地だ(ダーフラ近郊・西サハラ/Dakhla, Western Sahara 2018 撮影:岩崎有一)

◆遊牧の民、サハラーウィ

西サハラとされる地域に暮らしてきた人々は、「サハラーウィ」と呼ばれている。
サハラーウィは、アフリカ北部に広く暮らすベルベル人と、11世紀ころにイエメンから移動してきたアラブ人のベニー・ハサーン族、サハラ砂漠以南のサブサハラ系アフリカ人とが混ざり合って構成される人々だ。現在でも、西サハラを訪ねれば、様々な顔立ちをもったサハラーウィがいることがわかる。

鮮魚を運ぶサハラーウィの運転手。西サハラ沿岸の海は豊かな漁場だ(タルファーヤ・モロッコ/Tarfaya, Morocco 2001 撮影:岩崎有一)

ダーフラの自動車整備工場。外見だけでは、サハラーウィとモロッコ人の見分けはつかない(ダーフラ・西サハラ/Dakhla, Western Sahara 2001 撮影:岩崎有一)

アフリカ諸国の他地域と同様に、古来、地図上の明確な「境目」があったわけではない。今も、モロッコでは同国南部のゲルミン付近まではサハラーウィが多く暮らしている。また、モーリタニア北部やマリ北部にも、サハラーウィは見られる。「西サハラは、文化的な国境線という意味においては、現在の地図上で示された地域よりもひとまわり大きいのです。」
アルジェリアに暮らすサハラーウィのハマフは、地図を指し示しながら、こう話していた。アフリカ大陸の国境線では、人と文化は緩やかにグラデーションしながら変化していく。

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